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2013/07/24

隣人祭り


『サザエさん』では塀越しにおとなりさんと交流するシーンが度々登場するけど、実際そんなシーンはリアルではなかなかお目にかかれない。
ゲーテッド・コミュニティとまではいかないけど、防犯意識の高まりから厳重なロックが何重にもかかっている住宅も増えているし、「プライバシー」や「個人情報」の保護の観点から、近隣の住民との関係を遮断している人も少なくない。
おとなりさんとの生活リズムの違いから、顔を合わす機会がないっていう一人暮らしの人も多いはず。
町内会や自治会の求心力も以前ほどはなくなり、加入率は右肩下がりという話もよく耳にする。
日本の地域コミュニティは以前と比べて弱体化している。
そのことが自明視されているのが日本の状況。
『サザエさん』の「おフネさん」と「おカルさん」みたいに、お醤油を貸し借りできるようなご近所付き合いは、今となってはレアケースだと言っても過言ではない。

OECDの国際比較調査によると、日本の社会的孤立度は世界有数なのだそうだ。
「友人、職場の同僚、その他社会団体の人々(教会、スポーツクラブ、カルチャースクールなど)と「全くつきあわない」「めったにつきあわない」と回答した人の割合は実に約15%にものぼるそうで、アメリカ(約3%)やイギリス(約5%)、フランス(約8%)と比較しても圧倒的にその割合が高いことが分かる(みずほ情報総研)。
こうした状況を背景に、日本の孤立死は2010年時点で、日本武道館(キャパシティおよそ14,000人)の2days分に相当する268,213人(年間)と推計されている(ニッセイ基礎研究所)。
また日本では2010年に単身世帯が全体の31.2%を占めて最も多い世帯構成となるなど、「おひとりさま」や「独居高齢者」が急増しており、今後ますますその割合は高まっていくとの推計もあるのだけど、単身世帯は社会的孤立に陥りやすいとの指摘もあることから、事態は加速度的に深刻化する恐れもある。

地域コミュニティが崩壊しつつあるのは日本に限った問題ではない。
OECDの調査結果からは想像しにくいけど、アメリカでも地域コミュニティの弱体化は起こっている。
アメリカではボウリング場が社交場として機能していた時代があったのだけど、今ではボウリング場の持っていたその機能が完全に失われ、1人でボウリングに興じる人が増えているそうだ。
ここではそれ以上つっこまないけど、興味のある人はロバート・パットナムの『孤独なボウリング』を是非。
膨大なデータからアメリカ社会の「社会関係資本(ソーシャル・キャピタル)」の衰退、つまりはコミュニティの崩壊を浮き彫りにしている。
ただし手にした瞬間に重すぎて読む気を削がれ、値段を見て白目をむくことになると思うけどね。


孤独化の波はヨーロッパにも押し寄せているのだけど、フランスでは社会的孤立を予防するために、地域コミュニティの強化、あるいは再構築を目指してあるユニークな取り組みが行われている。
それが今回紹介する「隣人祭り」というイベント。
発案したのはアタナーズ・ペリファンさん。
パリ17区の助役を務めるスーパー公務員だ。

発案のきっかけはペリファンさんの「一生涯、心の奥にしまい込んでおきたい事件」にある。
彼が区長補佐になりたてのある日、役所から一本の電話がかかってきたそうだ。
「ある高齢者が住むアパートに、今すぐ見回りに行くように!」
役所からの指示に従い、現場に急行したペリファンさん。
あたりには強烈な臭気が漂っている。
吐き気に襲われながらも、臭気の出所と思われる一室に足を踏み込むと、そこには死後1ヵ月ほど経過した遺体が横たわっていた。
パリのど真ん中で起きた完全な孤独死だった。

腐臭が漂い出すまで亡くなったことすら誰にも気づかれない。
血縁や地縁をはじめとしたあらゆる縁が断絶され、まさしく無縁状態にあったのだろう。
その一件以来、ペリファンさんは住民同士の交流の重要性を感じ、それを促すにはどうすればいいか、ということに頭を悩ませた。

当時、カフェの2階に住んでいたペリファンさんは「(カフェの)オーナー自慢の自家製パテで住民を集めるアイデア」を思いつく。
オーナーに話を持ちかけると、オーナーは快諾。
こうして生まれたのが「隣人祭り」だった。

1999年にパリの17区で始まった「隣人祭り」は、そのコンセプトが多くの人の共感を呼び、またメディアによるパブリシティと行政によるプッシュも相まって、フランス国内はもとより、欧米やアジアにも急速に波及していく。
英語圏では「ヨーロピアン・ネイバーズ・デー」という名称で市民権を獲得し、「隣人祭り」は今や世界29カ国で800万人が参加するイベントとなっている。

もちろん日本にもそのムーヴメントは届いている。
日本ではじめて開催されたのは2008年のこと。
515日〜18日にかけて新宿御苑で「第3回ロハスデザイン大賞2008」が催され、そのうちの1つのプログラムとして17日と18日の2日間に渡って開催されたのが日本で最初の「隣人祭り」。
主催したのはロハスクラブと「隣人祭り」日本支部ってことなのだけど、ロハスクラブも「隣人祭り」日本支部も、ソーシャル&エコマガジン『ソトコト』を発行している株式会社木楽舎がその母体だから、木楽舎がその仕掛け人だと言っていいと思う。
新宿御苑の近隣住民や新宿で活動するNPO、商店会や町内会など多くの人が参加して好評を博したそうで、以来、「ロハスデザイン大賞」の時には毎回「隣人祭り」も開催されている。

こうして日本にも紹介された「隣人祭り」は、その後、各地にも広がりを見せている。
「隣人祭り」日本支部のHPには日本地図に「隣人祭り」の開催地がマッピングされている「『隣人祭り』全国マップ」っていうのがあって、それを見れば、日本での広がりが一目瞭然なんだけど、やっぱり活発なのは関東一円。
その他にも名古屋や静岡、九州でも開催されているみたいだけど、日本での「隣人祭り」はまだまだこれからといった状況。
マップ自体、更新されてないから、状況にもかなり変化があるのかもしれないけどね。


なんでこれほどまでに「隣人祭り」は世界中に受け入れられていったのだろうか。
やっぱりそれは「隣人祭り」が時代のニーズを捉えているからだし、なんと言ってもシンプルだからだと思う。
それからHPに「隣人祭り」に関する情報がまとまっているのも、活動の波及を後押ししてくれていると言える。

無縁社会や孤独死が社会問題として見なされるようになって久しいけど、みんな「このままではまずい」っていう危機感があるんじゃないかな。
プライベートにまで介入してくる“リスク”のある地縁を嫌い、地縁を補完するサービスも次々に登場し、地縁がなくても生活していけるようになったはいいけど、その帰結としての無縁社会や孤独死はどうなんだと。
地縁がないことの“リスク”もあるんじゃないかと、近年、これまで敬遠していたご近所付き合いを再評価する時期に来ているように思う。
テロや暴動、自然災害、経済危機など、“リスク”とはいつも隣り合わせなわけだし、高齢社会では日常の買い物でさえ一苦労する高齢者もいるだろうし、インフォーマル・ケアを必要とする人も少なくない。
そうした観点から、緊急事態のときに助け合えるご近所さんとの互酬性のある関係ってやっぱり大事だよね、そうみんなが気付き始めたそんな頃に登場した「隣人祭り」は、地域コミュニティをリデザインするためのツールとして世界中で歓迎されたんだろう。

「隣人祭り」とは言うなれば、オープンな食事会のこと。
「隣人祭り」は「ロハスデザイン大賞」で開催されるそれのイメージから、官公庁や企業にスポンサーについてもらって、大勢を集める大規模なイベントなんじゃないかなんて思っている人も中にはいるかもしれないけど、全く持ってそんなことはない。
場所はマンションの中庭や近所の公園、お寺の境内など、身近なオープンスペースを活用すればいいし、ご近所さんと知り合うきっかけが持てたり、楽しい時間を一緒に過ごすのが目的だから、別に大勢を集める必要もない。

同じマンションやアパート、エリアに住む人たちが集まるだけのこじんまりしたものでも構わない。
というか、それが正解。
とはいえ事前の告知は必要ではあるけれど、準備にもそれほど手間はかからないし、気負いもいらない。
集まった参加者が持ち寄った食べ物や飲み物をシェアしながら、社交の時間を楽しめばいいだけなので、非常にシンプル。
コンシェルジュが地域で「隣人祭り」を一緒にオーガナイズしてくれる仲間を募るにしても、「隣人祭り」というパッケージがあるから説明も簡単だし、コンセプトも伝わりやすい。

「隣人祭り」日本支部のHPの掲載情報も参考になる。
先述の「『隣人祭り』全国マップ」もそうだし、「『隣人祭り』事例集」からいろんなバリエーションを学べるのも嬉しい。
開催のしかたも順をおって説明してくれているので、これを読んで「やってみよう!」と思う人もいるんじゃないのかな。
「隣人祭り」日本支部にコンシェルジとして登録(有料)すれば、「『隣人祭り』の開催・運営に必要な情報・マニュアルを提供し」てくれたり、「隣人祭り」に関する情報が得られたり、コンシェルジュ同士の交流の機会に恵まれたりするようだ。
また「隣人祭り」のという名称とロゴの使用には、「隣人祭り」日本支部への登録が必要とのこと。

日本支部への登録が面倒だから、あるいは有料だから、っていう理由で「隣人祭り」の名称とロゴを使わずに、実質的に同じコンテンツのイベントを開催しているケースも中にはあるんじゃないかな。
そもそも「隣人祭り」が日本に入ってくる以前から、日本には「隣人祭り」のようなオープンな食事会はあったはずだし。
「お花見」や「お月見」、「花火大会」といった日本に根付く共視の文化には食事がつきもの。
そんなシーンでの食事会はまさに日本の「隣人祭り」の原点と言えるんじゃないだろうか。

日本人はよく親密な関係性(血縁関係、友人関係、会社関係)の人間に対しては礼儀正しく、紳士的な振る舞いをする一方で、親密な間柄ではない人に対しては愛想が悪く、無関心な人が多いと言われる。
簡単に言えば、ウチとソトで態度が変わる人が多いということなのだけど、「隣人祭り」はウチを拡張するのに一役買ってくれる。
「隣人祭り」をすれば地域コミュニティが簡単にリデザインできるなんてことは決してないのだけど、地域の人が互いに知り合うきっかけになるのは確か。
別に「隣人祭り」じゃなくたって、これまでに紹介してきた「レストランデイ」でも「green drinks」でも、地域のお祭りでもなんでもいいとは思うんだけど。同じエリアに住む人たちが顔を合わすことすらないない状況に、そのきっかけを与えることは非常に有意義なイベントだと思う。

社会学者のチャーリーこと鈴木謙介が『SQ “かかわり”の知能指数』っていう本の中で、「見慣れた他人」(ファミリア・ストレンジャー)を生活の中に増やしていくことがこれからの社会構築を進めていく鍵になるということを言っている。
今から「地域の人たちがみんな顔見知りで、朝は毎朝仲良く挨拶」するような地域社会に変えるのは難しいけど、「顔を見たことがあるというレベルで知っている」「見慣れた他人」(ファミリア・ストレンジャー)を増やしていくことくらいはできるんじゃないか。
「こうした関係性が生活の中にたくさん存在していると」、「『いざ』というときの助けになる」と。

繰り返しになるけど、地域に根ざしたコミュニティがデザインされて、各個人のウチの概念が拡張すると、リスクも軽減するだろうし、生活もしやすくなる。
どこまでプライベートへの介入を許すかは慎重にならざるを得ないけどね。

「隣人祭り」は「エスプリ・ド・パルタージュ」が通奏低音となっている。
これは日本語では「分かち合いの精神」を意味する言葉なんだけど、この精神を忘れてしまっては今後、社会は上手く回っていかないのかもしれない。
どこの自治体も財政難に悩まされているし、人口減少で税収はますます減少していく。
そうなれば、行政サービスも縮小していかざるを得ないし、超高齢社会では高齢者のインフォーマル・ケアの重要性が増してくる。
そんな時代には、「エスプリ・ド・パルタージュ」を持った地域コミュニティに社会システムの穴を補完する役割が求められると思うから。




2013/06/20

学校の孤独死


人口減少、低成長のこのご時世に増え続けている学校がある。
それが何だかご存知だろうか?
だいたい予想はつくとは思うけど、答えは廃校。
少子化による学生数の減少や市町村合併の影響がこうした状況を生み出していると言われている。
では、廃校はどれほど増えているのだろうか?
文部科学省では1992年から廃校に関する調査を実施しているのだけれど、この調査結果によれば、1992年から2011年の20年間で廃校となった数は6,834校にものぼるそうだ。
1992年から1999年頃までは年間廃校数は200前後で推移していたのが、2000年からは増加傾向が顕著になり、近年では年によってばらつきがあるものの、毎年400500以上もの学校が廃校となっている。

ここで気になるのは増え続ける廃校のその後。
学校はその性格上、ハードとしてのスペックはすごく高い。
だって、教育のためにあらゆることができるような仕様になっているから。
皆さん義務教育を受けてこられてきているわけだから説明も不要だとは思うけど、教室と一口に言ったって、ノーマルの教室のみならずスペシャルティを持った教室もいろいろあるし、グランウドやプールもある。
そんなわけで、廃校の活用には個人的には夢がある。

たとえばこんな活用の仕方はどうだろう。

ノーマルの教室をオフィスや店舗、それからギャラリー。
保育園や介護施設などといった福祉施設。
ゲストハウスなど、宿泊機能を持たせるのも良いかもしれない。
スペシャルティのある場所はその機能を引き継ぐ感じに
音楽室をライブハウスやクラブに。
美術室をアトリエに。
調理室をレストランに。
理科室をシアターに。
PC室をネットカフェに。
保健室をクリニックに。
グラウンドを農園に。
体育館をジムに。
図書館とプールはそのままでも十分使える。

たとえばの話ではあるけど、こうした使い方が実現できれば、異世代間のコミュニケーションも促進されるし、地域のコミュニティデザインに貢献できるんじゃないだろうか。
その結果として、地域が活性化されることにもなるかもしれないし、地域のイメージアップにもつながるはず。

でも実際のところ、学校のリノベーションには少なからず阻害要因があるようだ。
これまでにいくつか学校のリノベーションを手がけてこられている東京R不動産の馬場正尊さんが、著書『都市をリノベーションする』(NTT出版)でその阻害要因について語っている。

馬場さんが手がけられた東京都世田谷区の旧池尻中学校のリノベーションは、今でこそ「世田谷ものづくり学校/IDDIkejiri Institute of Design」として生まれ変わり、廃校利用の成功事例のひとつとして知られているけど、その時もプロジェクトを進めることは簡単ではなかったそうだ。
馬場さんは学校であれば仕事の合間に体育館やプールで運動ができる夢のようなワークスタイルが実現できると、中学校をシェアオフィスとして再生しようと提案したが、行政に「プールと体育館は使えません」と最初に釘をさされたそうだ。
行政の対応はこんな感じ。
「それは自治体の公債でつくられ、その償却期間が終わっていないので、他の機能には使用することができない」

納得のいかない馬場さんがくいさがっても「そういう決まりだから」の一点張りだったとか。
規則に縛られて用途変更を認めない行政のフレキシビリティのなさ。
辟易するしかないこうした「行政の体質」を馬場さんは第1の阻害要因として挙げている。

東京都世田谷区の旧今川中学校のリノベーションの際に直面したのは「卒業生の問題」だ。
これが第2の阻害要因。
この問題はどういうことかと言うと、母校に愛着と誇りを持つ卒業生たちのコンセンサスをとるのが非常に難しいということ。
「卒業生への断りもなく、勝手に知らない地域の若者が、理解できない目的で、あやしい使い方をするのは断じてならん」
といった感じで、卒業生たちが学校のリノベーション案をことごとく却下してくるのだとか。
伝統があり歴史のある学校ほど、卒業生に地域の実力者や社会的な地位が高くなっているような人も多いのでこうした傾向は強いのかもしれない。
旧今川中学校は神田駅すぐという好立地。
ここでカフェやシェアオフィスなどができれば、人の流れが変わり、同時に地域にもポジティブな変化をもたらせそうな気もするが、卒業生のコンセンサスが得られず、現在そこは地域住民がスポーツするためだけの施設となっているそうだ。
これじゃあ、地域の新陳代謝は期待できない。

馬場さんが挙げている最後の阻害要因は、行政の「市民の公平性」への過度な配慮だ。
「学校は公共建築であるがゆえに市民への開放や公平性を担保しなければならない」という意識が、行政にはどうしても働く。
旧池尻中学校(現「世田谷ものづくり学校/IDDIkejiri Institute of Design)」)の場合、「ある民間企業が一棟丸ごと借り上げてそれをサブリース(小分けにして又貸し)するという事業モデルになっている」そうだが、当初、行政は「公共財を単体の民間企業に預けてしまっていいのであろうか? そしていったいそれをいくらで、何年貸せばいいのか?」ということに関して、その基準設定に苦心したそうだ。
世田谷の場合、プロジェクト進行中にちょうど区長選があり、廃校再生を公約に掲げた区長が当選したこともあって、まさに「神風が吹いた」がごとく、プロジェクトが進んだそうだが、日本各地で地域や行政との意見調整ができず、廃校の活用が進まないという事態が多く起こっていると言う。
そしてそうした事態はポテンシャルの高い廃校(立地条件や耐久性、設備の充実度、広さなど。まあ要するに“良い物件”)ほど起こりやすいのだとか。

「学校のリノベーションの入り口に立っただけでもこれだけの阻害要因にぶつかる。それをすべて回避しようとすると、結局エッジが丸められた、中途半端で誰も幸せにならない施設になってしまう。学校リノベーションに取り組んだ瞬間に顕在化してきたこれらの諸問題。これをひとつひとつクリアしていかないことには本格的な学校のリノベーションは難しい」
馬場さんは哀しみを込めて語る。

これまで学校のリノベーションの難しさについて見てきたけど、その困難を乗り越え、廃校が活用されている事例も数多く蓄積されてきている。
先述のIDDもそうだし、京都国立マンガミュージアム(元・龍池小学校)や北野工房のまち(元・北野小学校)、アーツ千代田3331(元・練馬中学校)など全国的な知名度を獲得し、廃校活用のグッドプラクティスとして評価されているような事例もある。
最近では1993年に廃校となった元・立誠小学校(京都市)の活用事例(20134月末、元・立誠小学校が「最初の映画」であるとされるシネマトグラフが日本で初めて投影された「日本映画原点の地」ということにちなんで、「立誠・シネマ・プロジェクト」が始動された)がマスコミでも大きく報じられたりもしたし、近所の廃校が活用されている様子を実際に見たり、聞いたりしたことのある人もきっと多いはず。

文部科学省は、廃校の活用を推進したり、活用事例を紹介することを目的に「〜未来につなごう〜『みんなの廃校』プロジェクト」というものをスタートさせ、廃校活用のアイデアを蓄積していくような取り組みを行っている。
ページはインフォグラフィックなどが取り入れられているわけもなく、見にくく、読みにくいのだけれど、廃校に関する統計データや、事例集、廃校活用に利用できる補助制度など、廃校活用に関する様々な情報が集約されているので、関心がある人は見てみて損はないと思う。

冒頭で書いた、廃校数の変遷もここから取ってきたもの。
活用事例は、①オフィス・工場など②児童・高齢者などのための福祉施設③アート想像拠点などの文化施設④体験学習施設・宿泊施設など⑤大学・専門学校などの教育施設⑥特産品販売・描こう施設など、の6つのカテゴリー別にリンク集が作られている。
また「廃校施設の実態及び有効活用状況等調査研究委員会」が2003年に選定した「廃校リニューアル50選」というものも紹介されている。
この10年で状況は大きく変わっているので、もっと先進的な活用事例を選定しなおしてもよさそうなものだが、予算がないのか、時間がないのか、廃校を未来につなぐ気がないのか、やらない理由は不明だし、参考にする価値の低下はいなめないのだけれど

廃校の数に対して、ここのページに納められている事例は圧倒的に数が少ないし、事例としてもグッドプラクティスかどうか怪しく、馬場さんが危惧していたような「エッジが丸められた、中途半端で誰も幸せにならない施設」じゃないかと思えて仕方のない事例も多数含まれている。
やはり廃校利用はハードルが高いのかもしれない。
廃校は増加の一途をたどるし、それにリノベーションにも阻害要因が存在する。
事例を紹介したり、廃校活用に利用できる補助制度を整備したり、手続きの簡素化・弾力化などは行われたりするものの、それだけでは、なかなか「廃校をどうするか?」問題の解決ははかれない。
データもそのことを示唆している。

「〜未来につなごう〜『みんなの廃校』プロジェクト」のページ内に、「活用用途募集廃校施設等一覧(平成25531日)」というものがあるのだけど、ここには全国の活用予定のない149もの廃校がリストアップされている。
によれば、現存する廃校施設数4,222校のうち、「何らかの活用が図られているもの」は2,963校(70.2%)にとどまり、「現在活用が図られていないもの」は1,259校(29.8%)もあるそうだ。
そして、「現在活用が図られていないもの」で、「建物利用の予定有り」は259校(6.1%)に対して、「建物利用の予定無し」は1,000校(23.7%)にものぼる。
建物利用の予定がない理由として代表的なものは、「活用を検討しているものの地域等からの要望がない」が44.0%で、「活用方法がわからない」が12.8%だそうだ。

“学校の孤独死”とも言えるこうした事態に対して有効な手立てはないのだろうか。
「消費者ニーズの掘り起こし」ということはマーケティングの分野ではよくなされる話題だし、世の中の空気を変えるような戦略PRなどのノウハウから、「使いたい!」と思わせるような仕掛けを考えなくてはならないのかもしれない。
「活用方法がわからない」という意見に対しては、やはり「〜未来につなごう〜『みんなの廃校』プロジェクト」の事例集をアップデートしていくことから始めないといけないと思う。
単純に事例数を増やしたり、先進的な活用事例をフューチャーしたり。
インフォグラフィックを導入したり、ページのデザイン性を高めたり、読みやすいようにすることも大事。
また、ソーシャルメディア全盛の時代なのだから、ページにストックした情報を一方的に見せるだけではもったいないように思う。
SNSを活用するなど、問題関心を同じくする人たちと双方向のコミュニケーションができたりする仕組みがあってもいい。
それから従来のカテゴライズの仕方ではなく、都市部、郊外、中山間地域といったように、地域の地理的な性格からの分類があっても、利用のイメージを持ちやすくなっていいかもしれない。
今後ますます人口減少は加速するのだから、廃校の増加は「想定内」と言える。
行政はそんな「想定内」の事態に対して、フレキシビルな対応ができずにいる今の状況は正直どうかと思うのだけど、「お役所仕事」と揶揄されるような規則偏重型のいわゆる官僚制のもとでしか動けないのであれば、「想定内」の事態に対する規則やルールづくりも早急に行う必要があるだろう。

学校はまちづくりや防災を考える時の基点となるよう、地域に配置されている。
廃校になったからと言って、即座に基点としての役割を失うことも考えにくい。
廃校のポテンシャルを発揮できるよう再利用ができると、“学校の孤独死”対策が人の孤独死対策にもなるだろうし、地域の人のQOLも高めてくれるはず。
観光資源や産業振興として、地域にプラスの影響を与えることもできるだろう。

学校だけでなく、空家や使われなくなった土地や建物、リタイヤした人材など、これからの社会に思いを馳せるとき、これまで社会がストックしてきた資産をいかに時代にあったカタチで活用できるかが重要な鍵になってくるように思う。
もちろん、規則やルール、利権や場所に対する愛着や誇りがそうした動きのハードルとなることもあるだろうけど、近年注目されているシェアやソーシャルな意識の高まりがそんなハードルを乗り越えるときブースターとして機能してくれるんじゃないかと期待している。



2013/05/08

観光から関係へ <後編>


<後編>では「観光から関係へ」シフトしていくとき、どんな役割が求められていくかについて考えてみたい。

これまで、「COMMUNITY TRAVEL GUIDE」、瀬戸内国際芸術祭の「こえび隊」、家島の「島パッケージワークショップ」を例に、「観光から関係へ」という言葉について考えてきたけど、これらの事例から分かることは「人との関係が、土地との関係を生んでいく」ということなのかもしれない。
「家」「職場」の他に第三の居場所としてのサードプレイスが欲しいって人や、拠点を複数もつマルチハビテーションというライフスタイルに関心を寄せる人。
IターンやUターンをしようと思っている人たちが増加傾向にあるのも、「観光から関係へ」という価値観のシフトと無関係ではないように思う。
そしてこの価値観は、成熟した日本ではますます広まっていくような気がしている。

この変化は、現在、観光地として認識されていない地域にとってはチャンスかもしれない。
たとえ分かりやすい観光資源に恵まれておらず、メディアに取り上げられることがない地域であっても、関係の糸口さえ提供できれば、まちの「関係者」を増やすことができるから。
「関係者」は「観光客」と違い、その土地について気にかけてくれるし、何度も訪れてくれる。
もしかしたら、マルチハビテーションとして拠点のひとつに選んでくれたり、IUターン者として土地に根付いてくれるかもしれない。
着地型観光なんて言葉があるけど、人に訪ねて来てもらいたい地域の人たちが、都市部の人たちに向けて関係づくりを促進させるようなプログララムやアクティビティを提案していくことで、「関係者」を増やすことができるんじゃないかな。
それは地域をいかに「ブランディング」していくか、ということだと言い換えることができるかもしれない。
こうフレーミングしてみると、これからのまちづくりの発想というのは、プロスポーツクラブのブランディングや企業のブランディングが多少なりとも参考になることが分かる。
それらの研究は、具体的な施策だけでなく、ソーシャルメディアの活用などに関しても、示唆に富んだものになるような気がする。

問題はいかにして、関係の糸口を提供するか。
アートプロジェクトというのもひとつだけど、これを実施するにはクリアしなくてはならない障壁も多い。
そんな大規模のものでなくても、もっと障壁の少ないやり方もある。
「場」を起点にプログラムを考えるのもそのひとつ。
図書館や美術館といった公共の施設は、かつては受動型施設だったけど、モノや作品を制作するワークショップを開催したり、運営に関わるボランティアを募ったりと、近頃は来場者が主体的に関わることができるプログラムが増えてきているし、Fablabなどの市民工房も人が集まる拠点としての機能は高い。
そうした「場」を中心に、人が「関係」をもてるプログラムを開発して、実施していくことで「場」や「土地」の関係者を増やしていくことができると思う。
そして、その拠点の概念を「場」から「まち」に広げていくことでまた別のプログラムに派生させていくことができる。
たとえば、田舎暮らしの「日常」は、都市部で生活する人にとっては「非日常」なのだから、都市部の人向けに「日常」を体験してもらえるプログラムを用意するのもいい。
最近、都市近郊で貸し農園が増えてきているけど、農業や漁業、林業なんかも充分プログラムになりえる。
ホテルや旅館がなくたって、民宿や民家で代用できる。
欧米ではベッドと朝食を提供するだけの低価格の宿泊施設としてBB(ベッド&ブレックファスト)というのがあるけど、お手軽に田舎らしさを味わえるという点で受け入れられるかもしれない。
COMMUNITY TRAVEL GUIDE」のように「人」を全面に押し出すのもいいんじゃないだろうか。
なんと言っても、人は資源に違いないから。
そして、そういう地域の人と知り合いになったり、友だちになるなど、「関係」を築くことが出来れば、その地域を気にかけたり、繰り返し訪ねてくれたりする可能性も高い。

単に観光資源を消費するのではなく、関係づくりを促進させるようなプログラムは日本各地で開発され、実施されてきていると思うけど、こうしたプログラムで重要な役割を果たすのがコーディネーター的な存在。
こえび隊であれば事務局の人やベテランこえび隊員がその役割を担い、家島の場合、それにあたるのは「いえしまコンシェルジュ」。
図書館の司書や美術館のキュレーター、Fablabのマスターもその役割を担っていると思う。
内輪感が高いところに人は入りたいとは思えないもの。
閉鎖性の高さは外の人をげんなりさせるには充分すぎる要因になる。
だから、そうならない、そうさせないためにも、状況を把握し、人あるいは場がより本領を発揮できるように空間を切り盛りしたり、コミュニティが築きやすいように誘導したり、そういうファシリテーションしていけるかどうかが、関係に重きを置く価値観の中では、鍵になる能力なんじゃないかな。

確かに中山間や離島は、成熟社会としての課題、人口減少や少子高齢化問題、産業構造の転換等に端を発する社会的な課題に、都市部よりも先行して直面している。
でも、その解決に向けた動きの中で必要となってくる能力や発想は、都市部から学ぶべきことが多いように思う。
ブランディングやマーケティング、広報に宣伝、それからファシリテーション。
企業や団体がこれまで積み重ねてきたグッドプラクティスは、中山間や離島のまちづくりにずいぶんと応用することができるはず。
都市部でそうした職種に携わっている人の中にも、自分のスキルをボランティアで発揮したいという人は最近増えてきているという。
そういったプロボノしたいという人とまちをマッチングする団体もあるし、そうしたクリエイティブな人材を巻き込んだり、引き寄せたりすることで、「観光地」にはなれなくても、「関係地」になれる可能性は充分あると思う。
「型破り」は「型」があるからできること、なんていう言葉を聞いたことがあるけど、都市部の「型」をフレーミングしなおすことで、中山間や離島でも応用が効くってことなんだと思う。
「観光から関係へ」、そのとき都市で蓄積されてきた消費を促す仕組みが参考になるというのは、なんだか興味深い。
「観光から関係へ」、そのときどんな人がどんなスキルを使って、どのようにまちを変えていくのか。
そのあたりに注目しながら、まちを眺めていると、これからのまちづくりのヒントが得られるかもしれない。

Fablab