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2012/04/20

HOME


英語の“HOME”という言葉。
改めて辞書で引いてみると、多くの意味を持つ言葉だということが分かります。
「家」「故郷」「療養所」「発祥地」「本拠地」など。
このようにいろんな意味を持つ言葉ですが、いずれの場合にも共通して感じるもの、ありませんか?

温かく迎えてくれる優しさ。
気軽にくつろぐことを許してくれる優しさ。
励まし、応援してくれる優しさ。
叱ってくれる優しさ。

皆さんはどうか分かりませんが、僕は“HOME”という言葉が何を意味していたとしても、そこに「優しさ」を感じます。
それは、僕が“HOME”を「自分の居場所」のことだと解釈しているからかもしれません。
「自分の居場所」が“HOME”になる。
辞書的な解釈とは異なるかもしれませんが、それが僕の“HOME”に対する認識です。

だから、僕の認識によれば、特定の物理的場所(ハコ)に限らず、WEB上にも“HOME”はあるということになります。
そこに「自分の居場所」があるのであれば、という条件付きではありますが。
「ホームページ」という言葉という言葉が存在するぐらいですから、当然といえば当然なのかもしれませんが、ブログや掲示板、SNSをはじめとしたソーシャルメディアに「自分の居場所」、つまり“HOME”を感じている人も少なくないのではないでしょうか?

繰り返しになりますが、僕は「自分の居場所」が“HOME”になると考えています。
このことは、“HOME”が特定の物理的場所(ハコ)や特定の(WEBも含めた)空間である必要はないということでもあります。
場所や空間を限定しなくとも、どこだって“HOME”になりえると思うのです。
「自分の居場所」だと感じられる場所があれば、その場所が“HOME”になりますし、自分で「自分の居場所」を作り出すことができるのであれば、そこが“HOME”になりますし、「自分の居場所」を作り出してくれる人(ex.地元の連れ、学校の友だち、部活やゼミの仲間、同僚、ボランティアチームのみんなetc.)がいれば、その空間が“HOME”になるのです。

「ホームスタジアム」みたいに、あらゆる場所や空間を指す名詞に「ホーム」という言葉を飾り付けて、自分の居場所にしてやりませんか?
学校、会社、公園、カフェ、レストランに映画館、美術館に博物館、街や島、国なんかまで。
何でもかんでも“HOME”になる。
何でもかんでも“HOME”にできる。

「帰る家、ホームがあるという事実は、幸せにつながる」

アニメのキャラクターがそう言っていました。
僕もこの意見には賛成です。
そして、こうも思います。

「帰る家、ホームがたくさんあるという事実は、たくさんの幸せにつながる」

「優しさ」の感じられる“HOME
幸せにつながる“HOME
自分の居場所である“HOME
「ただいま」と帰れる“HOME

これから少しずつ増やしていければ良いな。
自分の生活する街だけじゃなくて、他の地域や、国々にも。
そんな風に思います。
そんでもって、たくさんの幸せを感じてやりたいと思います。
皆さんもいかがでしょうか?
HOME”、増やしてみませんか?

2012/04/11

桜は顔を上に向かせてくれる。
楽しいときは笑顔をくれるし、
淋しいときは元気をくれる。
春、上を向いて歩こう。





















春は出会いの季節であり、また旅立ちや別れの季節でもある。
入学や就職で新しい仲間や友だちとの出会いがある一方で、友だちと離ればなれになったり、慣れ親しんだ土地や親元から出て行くこともある。
それに、日本では春は始まりの季節。
新年度を迎えることで、新たな生活をスタートさせることも多い。

そんなわけで、「春は何だか落ち着かない」と感じる人も少なからずいることと思う。
感情だけでなく、生活も、それに鼻や目も。
少なくても、僕はそうだ。

初めての経験にワクワクしたりする日もあれば、不安に押し潰されそうになったり、孤独を感じたり、失敗して落ち込む日もあるかもしれない。

そんな春ですが、僕らの上には桜が咲いています。
上に咲いてるから、桜を見ようとすれば自ずと顔が上を向く。
満開の桜を見ると、その美しさに笑顔になれたり、元気がもらえたり。
なんとかやっていける、そう思わせてくれる力が桜にはあるように思います。

幸せは雲の上に。幸せは空の上に。
上を向いて歩こう。

2012/02/29

柳宗悦

日本を代表する「思想家」である、柳宗悦。
民藝運動を起こした人と記憶している人も多いのではないでしょうか?
「美学者」や「哲学者」としても知られていますが、
それ以外にも多くの顔を持っていた人だったようです。

1889年に現在の東京都港区で生まれた柳宗悦は、学習院高等科卒業の頃の1910年に、学習院の仲間である志賀直哉や武者小路実篤らとともに文芸雑誌『白樺』の創刊に参加したといいます。
大正文化の中心的担い手であった『白樺』。
堪能な語学力と持ち前の美的感性を生かして、同誌の中心的メンバーとして活躍した柳宗悦は、この雑誌の「編集者」として、「ライター」として、キャリアをスタートさせたわけです。

1913年に東京帝国大学哲学科を卒業した柳宗悦は、翌1914年に声楽家の中島兼子と結婚。
同年、来客が手土産として持参した朝鮮陶磁器の美しさに魅了された柳宗悦は1916年以降、たびたび朝鮮に渡り朝鮮工芸に親しむようにもなったそうです。
民族固有の造形美に魅せられた柳宗悦は、それを生み出した朝鮮の人々に敬愛の心を寄せ、日本統治下の朝鮮における日本政府の政策を批判したと言います。
そして、1921年には日本で最初の朝鮮民族美術展覧会を開催。
この時の肩書きは、今でいう「キュレーター」でしょうか。
その後も、1924年に現在のソウルに朝鮮民族美術館を開設するなど、固有文化の保護に取り組みました。

その一方で、柳宗悦は日本各地の手仕事を調査・蒐集していく中で、無名の職人が作る民衆の日常品の美に眼を開いて行きます。
調査・蒐集という側面から、「文化人類学者」や「民俗学者」、「目利き」「コレクター」としての顔も持っていたわけです。
当時、ごく当たり前の安物の品は下手物(げてもの)と呼ばれ、粗末な品と認識されており、誰も下手物を美の対象として顧みる人はいませんでした。
しかし、柳とその仲間たちだけは違いました。
彼らは下手物に美を発見したのです。
民衆の、民衆による、民衆のための品には、「健康な美」や「平常の美」といった大切な美の相が豊かに宿っていることを発見し、そこに工藝の発達を見たのでした。
柳たちが下手物に替わる言葉として民藝という言葉を使い始めたのは1925年。
民は民衆や民間の民、藝は工藝の藝からとり、あたらに民藝という言葉を生み出したのです。
このあたりが民藝運動の起こりだったようですね。
1928年には、独自の民藝美論を骨子とした初の本格的な工芸論『工藝の道』を著し、1931年は民藝運動の機関誌として重要な役割を果たした雑誌『工藝』を創刊し、「暮らしの美」を啓発していきます。
そして1936年には、日本民芸館を開館させます。
日本民藝館は大谷石を用いた木造建築で「美術館それ自身を一つの美の創作として展示したい」という意図のもと、外観のデザインはもちろん内部の建具の意匠も宗悦自身が関わったそうです。
また、展示にも細心の注意を払い、品物が最も美しく展示されるよう、独自の木製展示ケースや壁紙に葛布を用いるなど様々な工夫がされたそうで、そこかしこに柳宗悦の強いこだわりが伺えるのだとか。
日本民芸館の初代館長に就任し、この場所を活動の拠点とした柳宗悦。
その後の民藝運動の展開は皆さんのご存知の通りです。

「思想家」「美学者」「哲学者」「編集者」「ライター」「キュレーター」「文化人類学者」「民俗学者」「目利き」「コレクター」など複数分野に渡って超一流であった柳宗悦。

個人が異分野連携的な環境で能力を発揮するには、少なくとも二次元の強みを持っている必要があるとする、マッキンゼー・アンド・カンパニーによって有名になった「T型人間」というのがありますが、柳宗悦はアルファベットではあらわしきれないほどの複数分野のプロフェッショナルだったようです。

2012/02/25

「今 見ヨ イツ 見ルモ」



先日、大阪歴史博物館で開催されている「柳宗悦-暮らしの眼差し-」(2012年1月7日〜2月29日)に行ってきました。
これは柳宗悦の没後50年と日本民芸館開館75周年を記念して企画されたもので、柳宗悦が蒐集した古今東西の民藝品や直筆の書や原稿など貴重な資料が数多く展示されていました。
言わずもがな展示品は素晴らしかったのですが、パネルで紹介されていら柳宗悦の言葉が心に響きました。
以下に、全文を掲載します。

「今 見ヨ イツ 見ルモ」
私は「どうしたら、美しいものが見えるようになれるか」と
よく聞かれる。別に秘密はない。
初めて「今見る」想いで見ることである。
うぶな心で受取ることである。
これでものは鮮やかに、眼の鏡に映る。
だから何時見るとも、今見る想いで見るならば、
何ものも姿をかくしはしない。
たとえ昨日見た品でも、今日見なければいけない。
眼と心が何時も新しく働かねば、
美しさはその真実の姿を現してはくれぬ。
何も美しさのことのみではない。
一切の真なるものは、今見る時にのみ、
残りなく、その姿を現してくれる。
それは即今に見ることであり、真に見ることは、
この即今以外の出来事ではない。
宗悦
僕たちは普段、見ているようで何も見えていないのかもしれません。
慣れなのか、惰性なのか、物事をあまりにも当然のことと捉えて生活を送っている。
そして重要なことになに一つ気付けていないのかもしれません。
「普通」の品であった下手物を、「今見る」かのように立ち止まって見つめた柳宗悦だからこそ、そこに「美」を発見することが出来たのだと思います。
何気なく過ごす恋人との「普通」の時間、毎日やっている「普通」の仕事、家族との「普通」の食事
普段の生活は「普通」の連続とも思えます。
でも、そんな「普通」をじっくり観察してみると見えてくることがあるはず。
時間の中に、ルーティンワークの中に、関係性の中に、隠れている「普通」の真の価値。
真実の姿。
五感と直感を研ぎすませば、それに気付くことができるかもしれません。
その時、「普通」はもはや「普通」ではなく、「特別」。
眼と心を何時も新しく働かせて、いつも今初めて見るかのように物事を見る。
これができれば、竹内まりあさんが歌うように、“毎日がスペシャル”だと感じることができるかもしれませんね。
心がけたいものです。

2012/02/21

キュレーター


「美術館やギャラリー、あるいは街中の倉庫など、場所を問わず、展覧会などの企画を立てて実現させる人の総称がキュレーターです。形式も展覧会に限らず、パフォーマンスなどのイベントや出版物という形式を取ることもあります。『作品を選び、それらを何らかの方法で他社に見せる場を生み出す行為』を通じて、アートをめぐる新たな意味や解釈、『物語』を作り出す語り手でもあると言えるでしょう」(「美術手帳」2007年12月号)

日本語では「学芸員」と訳される「キュレーター」。
今やキュレーターは美術館や博物館のスタッフだけを指す言葉ではありません。
美術館や博物館の枠を超えて、様々な業界や分野でキュレーターが誕生してきているんです。

私たちが生きる現代は情報が氾濫した時代だとよく言われますよね?
インターネットが当たり前になってからというもの、世の中の総情報量、「選択可能情報量」は爆発的に増加したのは周知の事実。
しかも情報量は増加の一途をたどり、常に既に増殖際を続けています。
でも、残念なことに人間が消費できる「消費情報量」は昔も今もそれほど変わりはしていません。
このことは何を意味しているか?
人が処理しきれない情報、つまり、情報のゴミが出続けているのです。

そこで重宝されるのが、キュレーター。
普通、情報にはタグがつけられて、きちんと整理されているわけではないですよね。
キーワード検索するにしても、検索結果が何万件、何百万件になることなんてのはざらにあるわけですし、たとえ有益とされるサイトが検索結果のはじめの方に表示されたとしても、そこには自分の求めている情報がないかもしれない。
自分の必要とする情報を見つけ出そうと、「宝探し」でもするかのように、あっちのサイトこっちのサイトと、いろいろ飛び回った経験がある人も多いんではないでしょうか?
暇な時ならまだしも、インディ・ジョーンズじゃあるまいし、いつだって「宝探し」に時間と情熱を注げるわけじゃありません。

そんな時に、自分の欲しい情報がまとまっていたらどうでしょう?
美術館や博物館の展示みたく、あるコンセプトに沿って上質の情報が展示されていたら?
例を挙げるなら、YouTubeや2ちゃんねるのまとめサイト、TogetterYahoo!ニュースなどなど。
こうした情報を編集してアウトプットしてくれているようなサイトにアクセスすれば、あちこちサイトを飛び回る必要もないし、時間も有効に使える。
手間が省けて助かりますし、ありがたいですよね。

情報が溢れている時代だからこそ、情報を選別し、意味と価値のある情報を分かりやすいカタチで示してくれる、そんな人が必要になってくる。
佐々木俊尚さんの言葉を借りれば、「情報のノイズの海からあるコンテキストに沿って情報を拾い上げ、クチコミのようにしてソーシャルメディア上で流通させるような行い」が大きな意味をもつわけです。

このような行いをしてくれる「キュレーター」、今後ますます増えてくれるといいですね。

2012/02/14


St. Valentine’s day は世界中で男女が愛を伝え合う日として知られています。
女性から男性へ。男性から女性へ。女性から女性へ。男性から男性へ。
愛のカタチもいろいろだし、文化や風習によっても異なってくるとは思うけど、愛情であったり、恋心であったり、感謝であったり、日頃抱いている“想い”をチョコレートや花やカードに載せて贈るのが一般的だと思います。

バレンタインが近づくにつれ、街のショーウィンドウやディスプレイ、ポップや商品など、至る所で♥を見かけます。

この♥の起源は諸説あるそうで
心臓、女性の臀部や陰部、植物、僧侶や聖杯etc.
何をもとにデザインされたのか、その起源は分かりませんが、その意味するところははっきりしています。
好意的な“想い”を意味するということ。
確認したわけではないですが、おそらく世界共通ではないでしょうか?

1977年にアメリカのグラフィックデザイナー、ミルトン・グレイザーがニューヨーク州のために制作した「I NY」が誰にだって理解できるのも、♥がLOVEをあらわす記号だということが世界中に知られているから。

民族も宗教も文化も風習も言語も超えて、好意的な“想い”を伝えられる記号。
誰が考えたかは知りませんが、きっと愛に溢れた人だったんでしょうね♥