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2012/02/01

『マザーウォーター』


映画『マザーウォーター』をご存知だろうか?
『かもめ食堂』『めがね』『プール』に続くシリーズ第4弾で、舞台は京都。
「静かで力強い水の流れに引き寄せられた7人の男と女たち」の物語。

ウイスキー・バーを営むセツコ。コーヒー店を開くタカコ。お豆腐屋さんのハツミ。家具工房で働くヤマノハ。銭湯主人のオトメ。銭湯を手伝うジン。そして、街を散歩するマコト。

素直に自分を見つめて暮らす。
そんな日々が描かれ、別段ドラマティックなことは起こらない。
自分と隣り合わせにあってもおかしくないから物語だからこそ、登場人物たちの心の機微に共鳴することができたり、できなかったり。

今作もゆるくしなやかな空気感が全編に渡って醸し出されており、登場人物が話すセリフがグッとくる良作なわけだが、7人の男と女たちのポプラへの接し方が気になった。
ポプラとは1歳半ぐらいの子ども。
一言もセリフはない。というか、話せない。
でも、いつだってみんなの中心にはポプラがいる。
この子の親はオープニングとエンディングにちょろっと出てくるだけの女の人。
だから、この人がポプラと一緒にいるカットはほんとにわずか。
この映画の中では、その母親ではなく、7人の男と女がポプラの面倒を見ているのだ。
散歩に出かけたり、お豆腐を食べに行ったり、公園やお家に遊びに行ったり。
みんなで可愛がっているというより、みんなで育てている。
そんな印象を受けた。

「ちょっとだけお願いします」
「少しの間、いいかしら?」

なんて言っては、ポプラの子育てをバトンタッチしていく。

映画の終盤、銭湯前のベンチでオトメさんとマコトさんが話すシーンがある。
話題はポプラについて。
このシーンがそのことを象徴的にあらわしているので、文字に起こしてみる。

オトメ「ポプラは誰と手をつないでも楽しそうにしてますね」
マコト「そうね。きっとあの子はあの子で何か思ってるんだろうね、みんなのこと」
オトメ「みんなのこと?」
マコト「もしかしたら、この町のみんなの子どもだなんて思ってんのかもしれないね」
オトメ「いいなあ」

僕もそんなのは「いいなあ」と思う。

映画のエンディング。
セツコのバーで仲良く飲んでいるタカコとハツミの3人、ポプラも一緒だ。
すると、ポプラの母親がバーに顔を出す(と言っても、声だけの出演なのだが)。
そして言う。
「いつもすみません」
それに対して、
「いいえ」と答えるセツコ。

気軽にポプラを預けられる関係性がポプラの親と男女7人の間にはある。
愛する我が子を信頼して預けることが出来る。
そんな関係性、いいと思いませんか?

日本には血縁も地縁もない人が多いと言います。
自殺者、孤独死する人はそれぞれ年間3万人いるし、OECDの調査によれば日本は世界で最も社会的孤立度が高い国だそう。

あなたは隣に住んでいる人のこと、知っていますか?
同じ地域、地区に住んでいる人の中で、信頼できる人はいますか?

社会学に「Familiar Stranger(見慣れた他人)」という用語があります。
全くの他人ではあるけれども、顔は知っている。
そういう人のことを指す言葉です。

災害大国であり、課題先進国の日本。
借金まみれで互いに足を引っ張り合っている政治に期待できない今後、地域の課題を地域の住民で解決に向けて取り組んで行く機会が増えてくるだろうと思います。
映画『マザーウォーター』に登場する人たちのような親密な関係でなくとも、同じ地域、地区に「Familiar Stranger(見慣れた他人)」をいっぱい増やしていき、「困った時」や「もしもの時」にそういった人たちと協力し合えるような関係性を築いておくことが出来れば、もう少し生きやすい社会になりそうですよね。

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