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2013/07/24

隣人祭り


『サザエさん』では塀越しにおとなりさんと交流するシーンが度々登場するけど、実際そんなシーンはリアルではなかなかお目にかかれない。
ゲーテッド・コミュニティとまではいかないけど、防犯意識の高まりから厳重なロックが何重にもかかっている住宅も増えているし、「プライバシー」や「個人情報」の保護の観点から、近隣の住民との関係を遮断している人も少なくない。
おとなりさんとの生活リズムの違いから、顔を合わす機会がないっていう一人暮らしの人も多いはず。
町内会や自治会の求心力も以前ほどはなくなり、加入率は右肩下がりという話もよく耳にする。
日本の地域コミュニティは以前と比べて弱体化している。
そのことが自明視されているのが日本の状況。
『サザエさん』の「おフネさん」と「おカルさん」みたいに、お醤油を貸し借りできるようなご近所付き合いは、今となってはレアケースだと言っても過言ではない。

OECDの国際比較調査によると、日本の社会的孤立度は世界有数なのだそうだ。
「友人、職場の同僚、その他社会団体の人々(教会、スポーツクラブ、カルチャースクールなど)と「全くつきあわない」「めったにつきあわない」と回答した人の割合は実に約15%にものぼるそうで、アメリカ(約3%)やイギリス(約5%)、フランス(約8%)と比較しても圧倒的にその割合が高いことが分かる(みずほ情報総研)。
こうした状況を背景に、日本の孤立死は2010年時点で、日本武道館(キャパシティおよそ14,000人)の2days分に相当する268,213人(年間)と推計されている(ニッセイ基礎研究所)。
また日本では2010年に単身世帯が全体の31.2%を占めて最も多い世帯構成となるなど、「おひとりさま」や「独居高齢者」が急増しており、今後ますますその割合は高まっていくとの推計もあるのだけど、単身世帯は社会的孤立に陥りやすいとの指摘もあることから、事態は加速度的に深刻化する恐れもある。

地域コミュニティが崩壊しつつあるのは日本に限った問題ではない。
OECDの調査結果からは想像しにくいけど、アメリカでも地域コミュニティの弱体化は起こっている。
アメリカではボウリング場が社交場として機能していた時代があったのだけど、今ではボウリング場の持っていたその機能が完全に失われ、1人でボウリングに興じる人が増えているそうだ。
ここではそれ以上つっこまないけど、興味のある人はロバート・パットナムの『孤独なボウリング』を是非。
膨大なデータからアメリカ社会の「社会関係資本(ソーシャル・キャピタル)」の衰退、つまりはコミュニティの崩壊を浮き彫りにしている。
ただし手にした瞬間に重すぎて読む気を削がれ、値段を見て白目をむくことになると思うけどね。


孤独化の波はヨーロッパにも押し寄せているのだけど、フランスでは社会的孤立を予防するために、地域コミュニティの強化、あるいは再構築を目指してあるユニークな取り組みが行われている。
それが今回紹介する「隣人祭り」というイベント。
発案したのはアタナーズ・ペリファンさん。
パリ17区の助役を務めるスーパー公務員だ。

発案のきっかけはペリファンさんの「一生涯、心の奥にしまい込んでおきたい事件」にある。
彼が区長補佐になりたてのある日、役所から一本の電話がかかってきたそうだ。
「ある高齢者が住むアパートに、今すぐ見回りに行くように!」
役所からの指示に従い、現場に急行したペリファンさん。
あたりには強烈な臭気が漂っている。
吐き気に襲われながらも、臭気の出所と思われる一室に足を踏み込むと、そこには死後1ヵ月ほど経過した遺体が横たわっていた。
パリのど真ん中で起きた完全な孤独死だった。

腐臭が漂い出すまで亡くなったことすら誰にも気づかれない。
血縁や地縁をはじめとしたあらゆる縁が断絶され、まさしく無縁状態にあったのだろう。
その一件以来、ペリファンさんは住民同士の交流の重要性を感じ、それを促すにはどうすればいいか、ということに頭を悩ませた。

当時、カフェの2階に住んでいたペリファンさんは「(カフェの)オーナー自慢の自家製パテで住民を集めるアイデア」を思いつく。
オーナーに話を持ちかけると、オーナーは快諾。
こうして生まれたのが「隣人祭り」だった。

1999年にパリの17区で始まった「隣人祭り」は、そのコンセプトが多くの人の共感を呼び、またメディアによるパブリシティと行政によるプッシュも相まって、フランス国内はもとより、欧米やアジアにも急速に波及していく。
英語圏では「ヨーロピアン・ネイバーズ・デー」という名称で市民権を獲得し、「隣人祭り」は今や世界29カ国で800万人が参加するイベントとなっている。

もちろん日本にもそのムーヴメントは届いている。
日本ではじめて開催されたのは2008年のこと。
515日〜18日にかけて新宿御苑で「第3回ロハスデザイン大賞2008」が催され、そのうちの1つのプログラムとして17日と18日の2日間に渡って開催されたのが日本で最初の「隣人祭り」。
主催したのはロハスクラブと「隣人祭り」日本支部ってことなのだけど、ロハスクラブも「隣人祭り」日本支部も、ソーシャル&エコマガジン『ソトコト』を発行している株式会社木楽舎がその母体だから、木楽舎がその仕掛け人だと言っていいと思う。
新宿御苑の近隣住民や新宿で活動するNPO、商店会や町内会など多くの人が参加して好評を博したそうで、以来、「ロハスデザイン大賞」の時には毎回「隣人祭り」も開催されている。

こうして日本にも紹介された「隣人祭り」は、その後、各地にも広がりを見せている。
「隣人祭り」日本支部のHPには日本地図に「隣人祭り」の開催地がマッピングされている「『隣人祭り』全国マップ」っていうのがあって、それを見れば、日本での広がりが一目瞭然なんだけど、やっぱり活発なのは関東一円。
その他にも名古屋や静岡、九州でも開催されているみたいだけど、日本での「隣人祭り」はまだまだこれからといった状況。
マップ自体、更新されてないから、状況にもかなり変化があるのかもしれないけどね。


なんでこれほどまでに「隣人祭り」は世界中に受け入れられていったのだろうか。
やっぱりそれは「隣人祭り」が時代のニーズを捉えているからだし、なんと言ってもシンプルだからだと思う。
それからHPに「隣人祭り」に関する情報がまとまっているのも、活動の波及を後押ししてくれていると言える。

無縁社会や孤独死が社会問題として見なされるようになって久しいけど、みんな「このままではまずい」っていう危機感があるんじゃないかな。
プライベートにまで介入してくる“リスク”のある地縁を嫌い、地縁を補完するサービスも次々に登場し、地縁がなくても生活していけるようになったはいいけど、その帰結としての無縁社会や孤独死はどうなんだと。
地縁がないことの“リスク”もあるんじゃないかと、近年、これまで敬遠していたご近所付き合いを再評価する時期に来ているように思う。
テロや暴動、自然災害、経済危機など、“リスク”とはいつも隣り合わせなわけだし、高齢社会では日常の買い物でさえ一苦労する高齢者もいるだろうし、インフォーマル・ケアを必要とする人も少なくない。
そうした観点から、緊急事態のときに助け合えるご近所さんとの互酬性のある関係ってやっぱり大事だよね、そうみんなが気付き始めたそんな頃に登場した「隣人祭り」は、地域コミュニティをリデザインするためのツールとして世界中で歓迎されたんだろう。

「隣人祭り」とは言うなれば、オープンな食事会のこと。
「隣人祭り」は「ロハスデザイン大賞」で開催されるそれのイメージから、官公庁や企業にスポンサーについてもらって、大勢を集める大規模なイベントなんじゃないかなんて思っている人も中にはいるかもしれないけど、全く持ってそんなことはない。
場所はマンションの中庭や近所の公園、お寺の境内など、身近なオープンスペースを活用すればいいし、ご近所さんと知り合うきっかけが持てたり、楽しい時間を一緒に過ごすのが目的だから、別に大勢を集める必要もない。

同じマンションやアパート、エリアに住む人たちが集まるだけのこじんまりしたものでも構わない。
というか、それが正解。
とはいえ事前の告知は必要ではあるけれど、準備にもそれほど手間はかからないし、気負いもいらない。
集まった参加者が持ち寄った食べ物や飲み物をシェアしながら、社交の時間を楽しめばいいだけなので、非常にシンプル。
コンシェルジュが地域で「隣人祭り」を一緒にオーガナイズしてくれる仲間を募るにしても、「隣人祭り」というパッケージがあるから説明も簡単だし、コンセプトも伝わりやすい。

「隣人祭り」日本支部のHPの掲載情報も参考になる。
先述の「『隣人祭り』全国マップ」もそうだし、「『隣人祭り』事例集」からいろんなバリエーションを学べるのも嬉しい。
開催のしかたも順をおって説明してくれているので、これを読んで「やってみよう!」と思う人もいるんじゃないのかな。
「隣人祭り」日本支部にコンシェルジとして登録(有料)すれば、「『隣人祭り』の開催・運営に必要な情報・マニュアルを提供し」てくれたり、「隣人祭り」に関する情報が得られたり、コンシェルジュ同士の交流の機会に恵まれたりするようだ。
また「隣人祭り」のという名称とロゴの使用には、「隣人祭り」日本支部への登録が必要とのこと。

日本支部への登録が面倒だから、あるいは有料だから、っていう理由で「隣人祭り」の名称とロゴを使わずに、実質的に同じコンテンツのイベントを開催しているケースも中にはあるんじゃないかな。
そもそも「隣人祭り」が日本に入ってくる以前から、日本には「隣人祭り」のようなオープンな食事会はあったはずだし。
「お花見」や「お月見」、「花火大会」といった日本に根付く共視の文化には食事がつきもの。
そんなシーンでの食事会はまさに日本の「隣人祭り」の原点と言えるんじゃないだろうか。

日本人はよく親密な関係性(血縁関係、友人関係、会社関係)の人間に対しては礼儀正しく、紳士的な振る舞いをする一方で、親密な間柄ではない人に対しては愛想が悪く、無関心な人が多いと言われる。
簡単に言えば、ウチとソトで態度が変わる人が多いということなのだけど、「隣人祭り」はウチを拡張するのに一役買ってくれる。
「隣人祭り」をすれば地域コミュニティが簡単にリデザインできるなんてことは決してないのだけど、地域の人が互いに知り合うきっかけになるのは確か。
別に「隣人祭り」じゃなくたって、これまでに紹介してきた「レストランデイ」でも「green drinks」でも、地域のお祭りでもなんでもいいとは思うんだけど。同じエリアに住む人たちが顔を合わすことすらないない状況に、そのきっかけを与えることは非常に有意義なイベントだと思う。

社会学者のチャーリーこと鈴木謙介が『SQ “かかわり”の知能指数』っていう本の中で、「見慣れた他人」(ファミリア・ストレンジャー)を生活の中に増やしていくことがこれからの社会構築を進めていく鍵になるということを言っている。
今から「地域の人たちがみんな顔見知りで、朝は毎朝仲良く挨拶」するような地域社会に変えるのは難しいけど、「顔を見たことがあるというレベルで知っている」「見慣れた他人」(ファミリア・ストレンジャー)を増やしていくことくらいはできるんじゃないか。
「こうした関係性が生活の中にたくさん存在していると」、「『いざ』というときの助けになる」と。

繰り返しになるけど、地域に根ざしたコミュニティがデザインされて、各個人のウチの概念が拡張すると、リスクも軽減するだろうし、生活もしやすくなる。
どこまでプライベートへの介入を許すかは慎重にならざるを得ないけどね。

「隣人祭り」は「エスプリ・ド・パルタージュ」が通奏低音となっている。
これは日本語では「分かち合いの精神」を意味する言葉なんだけど、この精神を忘れてしまっては今後、社会は上手く回っていかないのかもしれない。
どこの自治体も財政難に悩まされているし、人口減少で税収はますます減少していく。
そうなれば、行政サービスも縮小していかざるを得ないし、超高齢社会では高齢者のインフォーマル・ケアの重要性が増してくる。
そんな時代には、「エスプリ・ド・パルタージュ」を持った地域コミュニティに社会システムの穴を補完する役割が求められると思うから。