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2011/12/02

「欲望のエデュケーション」

先日、Twitterで以下のようなツイートがTLに流れてきた。
@katsura_moshino 質の悪い客がオマケ欲しさに買うことで維持されているようなやり方が主流になってしまったら、根本的な在り方を見直すべきじゃないのか?

本が売れない時代と言われて久しい。
そんななか、「ブランドムック」と呼ばれるジャンルの雑誌がバカ売れしている。
理由はおそらく付属のオマケ。
それ欲しさに多くの人が「ブランドムック」を手にレジに並ぶのである。
その心理は理解できる。
お手頃価格でブランド品が手に入るのだから、
ブランド志向にはたまらない。
しかもバラエティーが豊富。
ティーンズ向けのブランドから、
普段はなかなか手に出来ないようなハイブランドのものまで、
よりどりみどりの状況。
本が売れない時代に出版社が考えだした苦肉の策かもしれないけど、
出版社として勝負するところを間違っている気がする。

また、過去に松本人志さんが現在のテレビについてこんなことを言っている。
「もうアホばっかりやからな。レベルがどんどん落ちてんねん、観てるやつの。テレビが視聴者に合わしだしてるから。昔はテレビが視聴者を引っ張ってたんや。『これぐらいを笑えよ!』『こんなんやろ!』『こうや!』『これが分かるか!』みたいにやってたんや。でも今は『どうですか?』『お気に召しましたか?』『昨日のO.A.いかがでございましたか?』『何か不都合なことがあればなんなりともし不都合なことがあればやめます』こんなやりかたしてたら、そらテレビおもんななるよ!」

僕がブランドムックに感じている違和感も、松本人志さんがテレビに感じていることも、根本は同じだと思う。
本の購買者とテレビの視聴者を「お客様」として扱っているところが気に食わないのである。

消費社会は生活者にモノを買ってもらわなければ成り立たない。
本も売れなければいけないし、テレビも観てもらわなければいけないのだ。
どうしたら今よりももっと売れるようになるのか、観てもらえるようになるのか。
そこで考えだされたのがマーケティングという手法。
生活者の欲望や希求をマーケティングによって調べ上げ、それを商品に反映させることができれば、生活者が欲しいもの作れる。
そうすれば、自ずと消費を拡大することが出来るというわけだ。
ただ全部が全部、そういうふうに作られてしまうと、
世に出る商品は全てお客様好みのものになってしまう。
このことの何が問題なのか?
デザイナーの原研哉さんが分かりやすくその問題について述べている。

「センスの悪い国で精密なマーケティングをやればセンスの悪い商品がつくられ、その国ではよく売れる。センスのいい国でマーケティングを行えば、センスのいい商品がつくられ、その国ではよく売れる。商品の流通がグローバルにならなければこれで問題はないが、センスの悪い国にセンスのいい国の商品が入ってきた場合、センスの悪い国の人々は入ってきた商品に触発されて目覚め、よそから来た商品に欲望を抱くだろう。しかし、この逆は起こらない。ここで言う「センスのよさ」とは、それを持たない商品と比較した場合に、一方が啓発性を持ち他を駆逐していく力のことである」

つまり、センスの悪いお客様に合わせていたら、文化水準がどんどん低下しちゃうよってこと。
しまいには、外来のものに駆逐されてしまうかもよ、という警鐘。
実際、テレビなんかはアメリカや韓国をはじめとした海外ドラマが大人気の状況がここしばらく続いている。
この状況が加速するのは、やっぱり寂しいと思うのである。

雑誌もテレビも、
お客様に迎合するばっかりではなく、
生活者に「欲望のエデュケーション」(原研哉)を施してもらいたいのである。
一刻も早く、昔のように生活者を引っ張っていく、
そんな牽引力を取り戻してもらいたい。

2011/11/05

カメラを持つ理由。写真を撮る意味。

「テート・モダン」の写真キュレーター、サイモン・ベーカーは言う。


「写真は世の中といつもリンクしている。それは、ほかの表現方法が持ち得ない有利な点です」


写真には常に既に“現場”が映っている。
あるときは戦場が。あるときは日常が。
それは、写真を撮った者と映った者(物)の生きた証である。
実際にその“現場”へ足を運び、何かを感じて、シャッターを切ったから、写真として残るのだ。
カメラは世界をありのままに切り取る。
そこには既に常にリアル(しかし過去)があり、既に常に世の中とリンクしている。
また、フォトグラファーのジュディ・スタークマンはこう言う。


「子どもの頃からカメラは特別なパスポートだった」


カメラを持つことでアクセスすることが許される、そんな場所がある。カメラを持つことでアクセスすることができる、そんな物語がある。

世界は色っぽい


Pen』(阪急コミュニケーションズ)の写真特集「伝える写真」の中で、森山大道さんと蜷川実花さんの対談が載っていた。その中で、両者が写真の「色っぽさ」や「エロティックさ」について言及している。

森山大道さん
「僕は単純に言って『世界は色っぽい』というふうに思い込んでいますから。森羅万象がね。『タイツ』の写真は、それ自体のエロティックさというものがあるとしてもね。やっぱり、そのへんに転がっている石っころ1個だって、実際、色っぽいだという基本的な感覚が僕にはあるんです」

蜷川実花さん
「花を撮っていても、金魚を撮っていても、女性を撮っていも、本当に写真を撮る行為というのは、色っぽいんですよ。対象がなんであれ、いつもそう思って撮っています」

 両者が言うように、世の中は“色っぽい”。「シャッターを切る」という行為は、ある種の“色っぽさ”を感じた瞬間にだけ行うものなのかもしれない。誰しもシャッターを切るとき、ファインダー(もしくは液晶画面)には心にグッとくる何かが映っているのではないだろうか。何も感じないのであれば、シャッターは切らない。そもそもカメラを構えたりしない。素敵な笑顔があったり。雄大な景色が広がっていたり。彩り豊かな花があったり。「いいね!」と感じる、そこに色っぽさがある。だから人はシャッターを切る。
 単に性的ないやらしさという意味ではなく、森羅万象がエロティック。そう感じる森山大道さんだから、あれほどシャッターを切るのだろう。もちろんエロティックに感じるか、感じないかは人それぞれ。そこにフェティシズムがあらわれる。たとえ同じ被写体であったとしても、撮る人が異なれば、写真がまったく違ったものになるのはそういうことではないだろうか。もちろんそこにスキルの差は歴然と現れるのではあるが。写真集や写真展にはフォトグラファーのフェティシズムが如実に表現され、構成されているものなのかもしれない。それぞれの写真のどこに色っぽさが隠されているのか、思いを巡らせながら鑑賞するのも楽しいかもしれない。

2011/10/14

『The Secret Life of Swimmers』


 写真家、Judy Starkmanwww.judystarkman.com)の作品のひとつに『The Secret Life of Swimmers』がある。この作品は2枚1組で、1枚は誰もいないプールでの水着姿の写真。もう1枚は、水着から着替えた日常での姿を捉えた写真だ。いずれもモデルは同じポーズをとっている。
 この作品が生まれたきっかけは、Starkmanが常連として通う市民プールの更衣室で見かけた、1人の女性であった。かっちりしたスーツを着こなしていた彼女は、あっという間にスイマーに変身したのだ。プールなのだから、誰もが仕事着や普段着から水着に着替える。多くの人はプールの更衣室でのこの光景を、当たり前に思い、何の疑問も抱かないであろう。しかし、Starkmanは違った。彼女の変身ぶりを見て、「彼女はいったい何者なのだろう」と好奇心がむくむくとわき上がったというのだ。それ以来、Starkmanは市民プールで出会った人たちに「写真を撮らせて欲しい」とアプローチを始めた。
 こうして、ひとつの作品に仕上がった『The Secret Life of Swimmers』は観るものの瞳に“真実”を映す。
 「市民プールでは、誰もがすべてを脱ぎ捨て水着1枚になる。その無防備な状態は、すべての人を平等にするのです。それがプールの外に出ると、服や趣味や仕事、さまざまなものが被写体を幾重にも覆ってゆく。私はギミックを使わずに、隠れている真実をシンプルに写真で伝えたかったのです」
 Starkmanがこう話すようにこの作品を観ると、普段いかに僕たちが人びとの“真実”の姿を観れていないか、ということに気付かせてくれる。
 撮影場所であるカルバーシティ(L.A.)の市民プールは、市内から老若男女さまざまな暮らしを送る人が集まる。これは階層社会のアメリカでは非常に珍しいことだ。かつては異質な人びとが入り交じるメトロポリスと知られたL.A.であるが、現在、そこに住む人びとは社会的・空間的に明確に分断されているという。富裕層は「ゲイティッド・コミュニティ」という塀で覆われ、セキュリティ・サーヴィスが行き届いた安心で安全な居住区に暮らす一方、富裕層から犯罪者予備軍と見なされる貧困層は市警察の監視が厳重な「ゲットー」押し込まれて生活している。こんな状況のL.A.において、かつてのメトロポリスが備えていた「公共性」を残す数少ない「飛び地」がこの市民プールであるといえるのだ。
 つまり、ここでは富裕層も貧困層も関係なく、みなが一緒になってプールを楽しんでいるのだ。普段着から水着に着替えることで、社会的にも空間的にも断絶していた人びとの格差がフラットになるのである。
 「人は見た目が9割」という時代である。住んでいるところや、着ている服。就いている職業や身につけている小物など。趣味やセンス、記号的・顕示的に消費されるモノにばかり目がいって、それだけで人を値踏みするような時代の現代である。普段慣れ親しんだ人を値踏みする判断基準を、ここ、市民プールでは誰しもが失う。「持てる者」であろうと「持たざる者」であろうと、水着になると平等なのだ。こうした視点で『The Secret Life of Swimmers』を観ると、いかに普段「見た目」に捕われているかがよく分かることだろう。
 どうやら服には様々なモノが織り込まれているようだ。日本には、プール以外にも「銭湯」で、このようなフラットな状況が訪れる。服と一緒に肩書きや文化資本なども脱ぎさって「ハダカの付き合い」をする場として、昔から日本人に愛されているといえる。
 水着になることで、見えてくることがある。ハダカになることで、感じることがある。これこそが“真実”なのだろう。ヤケドしてしまう前に、服を脱がずとも“真実”を見抜くだけの目を早いとこ養いたいものだ。

参考:『pen(阪急コミュニケーション)2011/10/1号、斎藤順一『公共性』岩波書店p.81




2011/09/26

空中ブランコ


「あなたの夢はなんですか?」
この質問に対して、小さい頃の僕はこう答えていた。
「空を飛ぶこと」

ウルトラマンもアンパンマンもドラえもんも孫悟空も。
ヒーローはみんな空を飛ぶ。
彼らに憧れていた僕も空を飛びたかった。
ビーデルさんと一緒に修行もしたけどダメで。
生身の人間には空を飛ぶという行為はやっぱり難しいみたい。
そんなことが分かるようになると、
この夢を語ることはだんだんと少なくなっていった。
挫折が夢を砕くなんてことはよくあることだ。

一度は諦めた空を飛ぶという夢。
しかし、この夢が思いもよらないカタチで実現した。
そう、僕は空を飛んだのだ。

滋賀県に彦根市という町がある。
「ひこにゃん」というご当地キャラクターが世間に受けて注目されたあの町だ。
そこに「ひこねスカイアドベンチャー」という施設が新しくオープンした。
日常生活では味わえないスリルや達成感が味わえるということもあり、メディアでもたびたび紹介されたりもしている。
「スリルや達成感」はジェットコースターに代表されるいわゆる絶叫系のアトラクションでも味わえると思われるかもしれない。
しかし、マシンに身を預けていればいいだけの絶叫マシンに比べ、この施設のアトラクションは自ら体を動かすことを基本としている。
ここでは「スリルや達成感」を受動するのではなく、主体的に求めていく。
その点で、ひと味もふた味も違った体験が出来る、というわけだ。

で、ここでは何が出来るのか?
ひこねスカイアドベンチャーでは「Adventure-G」「Sky-G」「High-G」という3つの“G”が体験出来る。
“G”が重力のことを指しているのかどうかは未確認だが、おそらくそうやと思う。
Adventure-G」は空中アスレチックのコースで2時間かけて、巨大なアスレチックに挑戦するというもの。
地上8m、18の難関のクリアを目指すこの「Adventure-G」は親子や友達と一緒にチャレンジできるということもあり、結構な人気であった。
Sky-G」は空中スライダーで、空中に設置されたワイヤーを約200mも滑り降りるというもの。
この施設は山の中腹にあるので、スライダーからは彦根の雄大な自然(琵琶湖はもちろん、夕日に輝く彦根城なんかも)が目に入る。
そして「High-G」。
名前の由来は「ハイジ」だとかどうとか。
これが今回、僕が挑戦したアトラクション「空中ブランコ」だ。
サーカスなんかではおなじみのバーからバーに飛び移るアレ。
「空中ブランコ」はサーカス団員にしか許されていない“特権的”なアトラクションであったのだが、ここ、ひこねスカイアドベンチャーでは一般人でもチャレンジできるのだ。
もちろんそんな施設は日本中探したってココ以外に見つからない。
ひこねスカイアドベンチャーは日本初の「空中ブランコ」体験施設なのだ。

初めて挑んだ空中ブランコ。
全身に風を受けて、空へダイブ。
バーへ飛び移るその時、一瞬ではあるが空を飛んでる感覚に。
忘れかけてた夢が実現した瞬間だった。
生身の体で空を飛ぶ感覚を味わえるなんて、そうそうできるもんじゃない。
クセになる気持ち良さ。

空中ブランコでは振り子の頂点で無重力となるのだが、その瞬間毎に動作を完了させる必要がある。
タイミングよく、また素早く動作を完了することができなければ、トリックを成功させることはできない。
今回、挑戦したのは「Knee Hang Catch」というトリック。
スタートボードから飛び出し、一回目の頂点でバーに足を引っ掛ける。
戻りの頂点でバーから手を離し、エビ反りに。
向かいのバーにいるスタッフにキャッチしてもらって成功。
スピードと正確さ、それにタイミングが合って初めて成功する。



このトリックが成功した人には、「認定証」が与えられ、履歴書の特技の欄に堂々と「空中ブランコ」と書くことが出来る。
今回成功させた僕の特技はもちろん「空中ブランコ」だ。
そして、次回、この「認定証」持参していくと、難易度の高いトリックを教えてくれるようだ。
次々にトリックを成功させていけば、シルク・ドゥ・ソレイユ入団も夢ではない!?