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2011/11/05

カメラを持つ理由。写真を撮る意味。

「テート・モダン」の写真キュレーター、サイモン・ベーカーは言う。


「写真は世の中といつもリンクしている。それは、ほかの表現方法が持ち得ない有利な点です」


写真には常に既に“現場”が映っている。
あるときは戦場が。あるときは日常が。
それは、写真を撮った者と映った者(物)の生きた証である。
実際にその“現場”へ足を運び、何かを感じて、シャッターを切ったから、写真として残るのだ。
カメラは世界をありのままに切り取る。
そこには既に常にリアル(しかし過去)があり、既に常に世の中とリンクしている。
また、フォトグラファーのジュディ・スタークマンはこう言う。


「子どもの頃からカメラは特別なパスポートだった」


カメラを持つことでアクセスすることが許される、そんな場所がある。カメラを持つことでアクセスすることができる、そんな物語がある。

世界は色っぽい


Pen』(阪急コミュニケーションズ)の写真特集「伝える写真」の中で、森山大道さんと蜷川実花さんの対談が載っていた。その中で、両者が写真の「色っぽさ」や「エロティックさ」について言及している。

森山大道さん
「僕は単純に言って『世界は色っぽい』というふうに思い込んでいますから。森羅万象がね。『タイツ』の写真は、それ自体のエロティックさというものがあるとしてもね。やっぱり、そのへんに転がっている石っころ1個だって、実際、色っぽいだという基本的な感覚が僕にはあるんです」

蜷川実花さん
「花を撮っていても、金魚を撮っていても、女性を撮っていも、本当に写真を撮る行為というのは、色っぽいんですよ。対象がなんであれ、いつもそう思って撮っています」

 両者が言うように、世の中は“色っぽい”。「シャッターを切る」という行為は、ある種の“色っぽさ”を感じた瞬間にだけ行うものなのかもしれない。誰しもシャッターを切るとき、ファインダー(もしくは液晶画面)には心にグッとくる何かが映っているのではないだろうか。何も感じないのであれば、シャッターは切らない。そもそもカメラを構えたりしない。素敵な笑顔があったり。雄大な景色が広がっていたり。彩り豊かな花があったり。「いいね!」と感じる、そこに色っぽさがある。だから人はシャッターを切る。
 単に性的ないやらしさという意味ではなく、森羅万象がエロティック。そう感じる森山大道さんだから、あれほどシャッターを切るのだろう。もちろんエロティックに感じるか、感じないかは人それぞれ。そこにフェティシズムがあらわれる。たとえ同じ被写体であったとしても、撮る人が異なれば、写真がまったく違ったものになるのはそういうことではないだろうか。もちろんそこにスキルの差は歴然と現れるのではあるが。写真集や写真展にはフォトグラファーのフェティシズムが如実に表現され、構成されているものなのかもしれない。それぞれの写真のどこに色っぽさが隠されているのか、思いを巡らせながら鑑賞するのも楽しいかもしれない。