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2011/09/26

空中ブランコ


「あなたの夢はなんですか?」
この質問に対して、小さい頃の僕はこう答えていた。
「空を飛ぶこと」

ウルトラマンもアンパンマンもドラえもんも孫悟空も。
ヒーローはみんな空を飛ぶ。
彼らに憧れていた僕も空を飛びたかった。
ビーデルさんと一緒に修行もしたけどダメで。
生身の人間には空を飛ぶという行為はやっぱり難しいみたい。
そんなことが分かるようになると、
この夢を語ることはだんだんと少なくなっていった。
挫折が夢を砕くなんてことはよくあることだ。

一度は諦めた空を飛ぶという夢。
しかし、この夢が思いもよらないカタチで実現した。
そう、僕は空を飛んだのだ。

滋賀県に彦根市という町がある。
「ひこにゃん」というご当地キャラクターが世間に受けて注目されたあの町だ。
そこに「ひこねスカイアドベンチャー」という施設が新しくオープンした。
日常生活では味わえないスリルや達成感が味わえるということもあり、メディアでもたびたび紹介されたりもしている。
「スリルや達成感」はジェットコースターに代表されるいわゆる絶叫系のアトラクションでも味わえると思われるかもしれない。
しかし、マシンに身を預けていればいいだけの絶叫マシンに比べ、この施設のアトラクションは自ら体を動かすことを基本としている。
ここでは「スリルや達成感」を受動するのではなく、主体的に求めていく。
その点で、ひと味もふた味も違った体験が出来る、というわけだ。

で、ここでは何が出来るのか?
ひこねスカイアドベンチャーでは「Adventure-G」「Sky-G」「High-G」という3つの“G”が体験出来る。
“G”が重力のことを指しているのかどうかは未確認だが、おそらくそうやと思う。
Adventure-G」は空中アスレチックのコースで2時間かけて、巨大なアスレチックに挑戦するというもの。
地上8m、18の難関のクリアを目指すこの「Adventure-G」は親子や友達と一緒にチャレンジできるということもあり、結構な人気であった。
Sky-G」は空中スライダーで、空中に設置されたワイヤーを約200mも滑り降りるというもの。
この施設は山の中腹にあるので、スライダーからは彦根の雄大な自然(琵琶湖はもちろん、夕日に輝く彦根城なんかも)が目に入る。
そして「High-G」。
名前の由来は「ハイジ」だとかどうとか。
これが今回、僕が挑戦したアトラクション「空中ブランコ」だ。
サーカスなんかではおなじみのバーからバーに飛び移るアレ。
「空中ブランコ」はサーカス団員にしか許されていない“特権的”なアトラクションであったのだが、ここ、ひこねスカイアドベンチャーでは一般人でもチャレンジできるのだ。
もちろんそんな施設は日本中探したってココ以外に見つからない。
ひこねスカイアドベンチャーは日本初の「空中ブランコ」体験施設なのだ。

初めて挑んだ空中ブランコ。
全身に風を受けて、空へダイブ。
バーへ飛び移るその時、一瞬ではあるが空を飛んでる感覚に。
忘れかけてた夢が実現した瞬間だった。
生身の体で空を飛ぶ感覚を味わえるなんて、そうそうできるもんじゃない。
クセになる気持ち良さ。

空中ブランコでは振り子の頂点で無重力となるのだが、その瞬間毎に動作を完了させる必要がある。
タイミングよく、また素早く動作を完了することができなければ、トリックを成功させることはできない。
今回、挑戦したのは「Knee Hang Catch」というトリック。
スタートボードから飛び出し、一回目の頂点でバーに足を引っ掛ける。
戻りの頂点でバーから手を離し、エビ反りに。
向かいのバーにいるスタッフにキャッチしてもらって成功。
スピードと正確さ、それにタイミングが合って初めて成功する。



このトリックが成功した人には、「認定証」が与えられ、履歴書の特技の欄に堂々と「空中ブランコ」と書くことが出来る。
今回成功させた僕の特技はもちろん「空中ブランコ」だ。
そして、次回、この「認定証」持参していくと、難易度の高いトリックを教えてくれるようだ。
次々にトリックを成功させていけば、シルク・ドゥ・ソレイユ入団も夢ではない!?


2011/09/21

デザインに求めるもの


 大阪市はクリエイティブ・デザインの力によって、大阪のメインストリートである御堂筋のブランド力を高めようと「御堂筋デザインストリート2011」というイベントを9月12日から1週間に渡り開催した。連日、御堂筋界隈では多彩なプログラムが催された。
 9月19日(月)、このイベントのファイナルを飾るプログラムが大阪市役所にて行われた。題して「クリエイティブビジネスフォーラム2011『都市とコミュニティとデザイン』」。
 都市再生の鍵となるコミュニティのあり方について、3人の識者が討論するというものなのだが、登壇者が実に豪華!壇上に登場する識者というのが、「コミュニティデザイナー」として日本中から注目される山崎亮氏、哲学者で前大阪大学総長の鷲田清一氏、現大阪市長の平松邦夫氏のお三方。この三者の鼎談が聞けるというわけで、このプログラムには多くの方が足を運んだ。用意された200席は事前予約でいっぱいになり、「キャンセル待ち」や「立ち見」も出たほど。
 もちろん、コミュニティについての議論は興味深いものであったのだが、個人的には、鷲田氏が語った「デザインに求めるもの」という件が印象深かった。鷲田氏は「デザインに求めるもの」として、以下の3点を挙げた。

①人々の主体性を引き出すデザイン
②多義的なデザイン
③フィロソフィーがあるデザイン

 まず①の「主体性を引き出す」とは、裏を返せば、「受け身にさせない」ということである。安心・安全・快適で整備されつくされたデザインは人を「お客様」にする。つまりそれは、人が「至れり尽くせり」な受け身の状況に置かれることを意味する。確かに、「至れり尽くせり」は楽である。何もかもがオートマティック。自分で考える必要はない。言いなりになっていればいい。しかし、そのことは、自ら考え、行動するという主体的行為を人から剥奪するデザインとはいえないだろうか。人を「受け身にさせる」デザインは、人を「自由からの逃走」(E.フロム)させる。ひとたび「自由から逃走」すれば、人の感覚は鈍るばかりだ。舌が薄い味を追いかけるように、優れたデザインは人の感覚を鋭くさせ、主体的に味わい尽くすよう働きかける。
 次に②の「多義的」であるということは、いろんな使い方ができるデザインのこと。欧米の椅子にはコンセプチュアルなものが多い。ビジネス用、読書用、食事用、来客用etc…と、用途に応じて椅子を使い分ける、使い方を限定する(他の使い方を許さない)ことがしばしばある。今でこそ、その文化は広く日本にも普及しているが、日本では古くから椅子の代わりに座布団を使う文化がある。コンセプチュアルな椅子に比べ、座布団は多義的なアイテムであるといえる。「座布団」は座る際に用いられるほか、子ども(乳幼児)を寝かせる「敷き布団」として、眠くなったら半分に折り曲げて「枕」として、また災害時には頭を守る「防具」として、多様な使い方がされる。
 座布団以外にも、風呂敷の使い方しかり、落語における扇子の使い方しかり。日本伝統の品には2way3way4wayと用途の幅が広いデザインが多いのではないだろうか。こうした多義的なアイテムは「体をアホにしない」と鷲田氏はいう。主体的に体を動かすことで工夫が生まれ、デザイナーすら思いもよらない、ある意味“例外的”な使われ方がされる場合もでてくる。
 最後の③は、フィロソフィー、つまり哲学があるということ。簡単な言葉に言い換えると、メッセージ性のあるデザインとでもいえるだろうか。鷲田氏が引き合いに出したのは、建築家の坂茂氏がデザインした「四角いトイレットペーパー」だ。普段、使い慣れている芯の丸いトイレットペーパーは抵抗が少なく、スルスルと使える。一方、坂氏がデザインしたトイレットペーパーは芯が四角いため、カタンカタンと使いにくい。「使いにくい」、ここにフィロソフィーが隠されている。ともすると、使い過ぎてしまうトイレットペーパー。だが、カタンカタンと使いにくければ、「もったいない」を喚起させる時間を与える。「資源の無駄使いはやめよう」、そんなメッセージが受け取れるのだ。さらに、このデザインの優れたところは、輸送時にも発揮される。同じ容量の空間であっても、丸いトイレットペーパーに比べ、四角いトイレットペーパーは空隙が少なく、より多くのトイレットペーパーを積むことが出来る。つまり、丸いものより効率的に運べるのである。それに伴い、燃料費や人件費の削減にもつながるというのである。

 鷲田氏の話を聞いていて思い出したのは、“Less is More.”(より少ないことは、より豊かなことである)という言葉。これはバウハウスの校長を務めた建築家、ミース・ファン・デル・ローエが残した言葉だが、この言葉同様、鷲田氏の指摘はデザインの本質を言い当てているのかもしれない。グラフィックやプロダクトといったカタチのあるものだけでなく、コミュニティやコミュニケーションといったカタチのないもののデザインを考える際にも、重要な手がかりになるのではないだろうか。さすが、前大阪大学総長。鋭い分析であり、示唆に富んだ指摘である。今後の参考にさせて頂こう。

2011/09/06

『ジェノサイド』

高野和明『ジェノサイド』(角川書店)という小説がある。


これを書いた人はどういう脳味噌をしているのか。そのとてつもない想像力に驚嘆した。(作家・万城目学)

ここにハリウッドを凌ぐ、一級の娯楽作品がある。こんなスケールのデカい小説を書ける作家がいたなんて、日本はまだ捨てたもんじゃない。(「METAL GEAR」シリーズ監督・小島秀夫)


など作家や書店員からの評価も高く、「本の雑誌」2011年上半期ベスト10においても第1位となった作品である。僕自身、これほどまでスケールの大きい作品は読んだことがなかったし、面白さのあまり、夜を徹して数百ページを一気読みしてしまった。本の帯に記されている「世界水準の超弩級エンタメ小説」というのに嘘はない。

この小説の中で、ハイズマンという博士のヒトに関する考察が興味深い。

「私は人間という生物が嫌いなんだ」とハイズマン博士。
その理由を以下のように回答する。

「すべての生物種の中で、人間だけが同種間の大量殺戮を行う唯一の動物だからだ。それがヒトという生き物の定義だよ。人間性とは、残虐性なのさ。かつて地球上にいた別種の人類、原人やネアンデルタール人も、現生人類によって滅ぼされたと私は見ている」

我々、現生人類だけが地球上に生き残ったのは、知性ではなく、残虐性が勝ったからだと博士は主張する。
ハイズマン博士はこうもいう。

「人間は、自分も異人種も同じ生物種であることを認識することができない。肌の色や国籍、宗教、場合によっては地域社会や家族といった狭い分類の中に身を置いて、それこそが自分であると認識する。他の集団に属している個体は、警戒しなければならない別種の存在なのだ。もちろんこれは、理性による判断ではなく生物学的な習性だ。ヒトという動物の脳が、生まれながらにして異質な存在を見分け、警戒するようになっているのさ。そして私には、これこそが人間の残虐性を物語る証左に思える」

「いいかね、戦争というのは形を変えた共食いなんだ。そして人間は、知性を用いて共食いの本能を隠蔽しようとする。政治、宗教、イデオロギー、愛国心といった屁理屈をこねまわしてな。しかし根底にあるのは獣と同じ欲求だ。領土をめぐって人間が殺し合うのと、縄張りを侵されたチンパンジーが怒り狂って暴力を振るうのと、どこが違うのかね?」


ハイズマン博士が主張するように、その誕生以来「同種間の大量殺戮」を続けているのがヒトという生物といえるのかもしれない。
遺跡から発掘されるネアンデルタール人の骨には、暴力を受けた傷跡が調理された痕跡が多く見つかるという。
肌の色が違うというだけで、差別され、奴隷として過酷な労働を強いられるた人は数知れない。
また人種、信仰の違い、イデオロギーの対立など理由をつけては多くの殺戮が繰り返されてきたのは周知の事実。
そして今なおその争いは現在進行形で続いている。
石や棍棒を手に殺し合いを続けてきたヒトは、銃を開発し、核ミサイルを手に入れた。
何十万年も殺戮兵器の開発を続けてきたヒトは、今やスイッチ一つで人類を滅亡させることできる。

どんな大量破壊兵器も怖くない。
怖いのは、それを扱う人間だ。

現生人類である”ホモ・サピエンス(=賢い人)”が真の意味で”賢い人”になる日は来るのでしょうか?

2011/09/02

岸野由美恵展 〜そよ風の中で〜


きらきら光る木漏れ日。葉と葉が奏でる旋律。そよ風のリズム。美しい色彩。豊穣な香り。自然はいつだって心を静め、癒してくれる。いくら近代建築が「快適な空間」を追求したって、緑の中の心地よさには敵わない。
 日本画家である岸野由美恵は、そうした自然の魅力を優しいタッチで描く作家として知られている。彼女の初めての個展が現在、京都文化博物館別館「arton art gallery」にて開催中だ。
 京都精華大学で日本画を専攻していた彼女は、京都市美術館にて開催された卒展に自身の卒業制作を出展した。そこでギャラリーに才能が認められ、「個展をやってみないか」とのオファーを受けたという。
 実は彼女、僕の同級生。小中と同じ学校に通っており、何度か同じクラスにもなったことがある。とは言うものの、中学卒業と同時に関係が途絶えていたこともあり、彼女がアートの世界で生きているなんてことは知らなかったが、彼女が個展を開くということを聞きつけて、ギャラリーに足を運んできた。
 こうした同級生の活躍には胸が躍るし、誇らしい気持ちになる。それに、自分も「頑張ろう」って気にさしてくれる。良い刺激は気持ちがいい。
 彼女は地元の山田池公園で作品のインスピレーションを受け、創作活動を続けているという。馴染みの地に作品の原点があるということもあってか、初めて見る作品にも関わらず、すっと心の中に入って来る感じがした。作家自身の人柄を反映するのか、どの作品も優しく温もりのあるものであった。
 91日現在で、作品が1点売れたというが、個展をしたからといって美術作家として生計を立てることが出来るようになるわけでは当然ない。命のあるうちに、作品が評価され、美術作家としての成功を納めるのはほんの一握りの人間だけだ。だが、彼女にはこれをきっかけに、評価を重ね、ステップアップしていってもらいたい。秋には公募展に出展予定だという。今後の更なる彼女の活躍に期待。

岸野由美恵展〜そよ風の中で〜
■会期:20118月23日(火)〜9月4日(日)
■時間:10001930
■場所:京都文化博物館別館「arton art gallery」(京都市中京区三条高倉)