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2012/06/17

マイナスドライバーの先端


「物」は分けると減るけど、「感動」は分けても減らない。
むしろ、その総量(感動が量で計れるものかどうかは置いておいて)は増える。
スポーツイベントやライブパフォーマンスを観た観衆の熱狂ぶりが良い例。
大勢に「感動」が共有されることで気分が高揚し、その場の昂った雰囲気に浸ることで更なる興奮が体感できる。
たとえ同じイベントやライブであっても、テレビ中継やDVDで観た場合にはそのような感動や興奮は決して得られるものではない。
そのようなことが「視点」にも言える気がする。
つまり、「視点」も複数で分けることで、増えるんじゃないかと。

「視点」は人それぞれのもの。
高さもが違えば、見方も違う。
解像度も人によって変わってくる。
でも、会話でも、メールのやり取りでも、ワークショップでも、読書でも、やり方は何でもいいんだけど、自分と異なる「視点」の持ち主と“対話”することで、(一時的ではあるにせよ)その人のまなざしでモノゴトを見ることができる。
同時に、相手にもこちらの「視点」でモノゴトを見てもらうことができる。
自分の「視点」に加えて相手の「視点」でモノゴトが見れるのだから、“対話”は人を複眼的にさせると思うのだ。

たとえば、マイナスドライバーの先端。
この形状、あなたには□に見えるかもしれない。
でも、ある人には△に見え、またある人には◯に見えているかもしれない。
真横から見れば、□に。90度、角度を変えれば、△に。そして真上から見れば、◯に。
マイナスドライバーの先端みたいに、「視点」が変われば、見え方が変わってくるなんてことはよくあること。
しかも、現実はマイナスドライバーの先端よりも複雑な形状の場合がほとんどだしね。

複眼的にモノゴトを見れるということは、目の数だけ違った世界が見れるということ。
見たこともないような色や、形。
知らない音や温度を感じることもできるかもしれない。
オリジナルの「視点」とは別の「視点」を持てるということは、それだけですごく豊かな体験なんだと思う。
だから、僕は“対話”を大事にしたい。

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