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2012/05/14

自立しなきゃダメですか?


【自立】他の援助や支援を受けず自分の力で身を立てること。ひとりだち。

 「自立」の意味を広辞苑はこう説明しています。
 あなたはこの「自立」という言葉から、どんなことを感じますか?立派なことだと感じる人もいれば、強さを感じる人もいるかもしれません。でも僕は、「自立」という言葉から孤独感や孤立感を感じます。
 「他の援助や支援を受けず自分の力で身を立てること」ってことは「無縁(援)」を意味しているんじゃないかと思うからです。日本だけでなく、世界の国々に「自立することはいいことだ」という価値観があるように思いますが、「自立」するのはそんなにいいことなのでしょうか?
 日本では孤独死が社会問題となっていますし、アメリカでは一人ぼっちでボーリングを楽しむ人が増えていると聞きます。「自立することはいいことだ」という価値観で生きてきた結果が、「孤独死」や「ボーリング・アローン」であるとすれば、それは何だか悲しい結末な気がしてなりません。
 でも考えてみれば、広辞苑的意味で「自立」している人って、世界中探してもマイノリティーな気もしないでもありません。いくら経済的に豊かであっても貧しかったとしても、社会のセーフティネットからこぼれ落ちた人であっても、お金を媒介させて「他の援助や支援を受け」ている場合が多いはず。つまり、サービスを買ったり(買われたり)、人を雇ったり(雇われたり)、あるいは国が社会保証を提供(享受)したりしているわけだから。
 このほかにも社会関係を媒介させて「他の援助や支援を受け」ている場合もあるでしょう。社会学の用語で言えば「ソーシャル・キャピタル」、つまり、人と人とのつながり(関係性)を活用して、「他の援助や支援を受け」ている場合も少なくないはずですから。
 「自立」することを全面的に否定しているわけではありませんが、「他の援助や支援を受け」てもいいんじゃないかと思うわけです。「自立することはよいことだ」という価値観は、「人に甘えることは悪いことだ」と言い換えられると思うんですが、甘える対象が人ではなく、金であるのなら話は別ですが、人である分には問題ないんじゃないでしょうか?
 そもそも、甘えの対象(人)になるのは近しい人の場合がほとんどだと思います。公共空間で見ず知らずの人に配慮していただくこともあるにはありますが、割合にすればごく小さい。だって、甘えるということは、多くの場合、面倒で厄介なことを相手にお願いするわけだから。親とか、友だち(それも親友と呼べるような)とか、恋人や先輩、後輩とか。距離が近い人でないと、甘えが迷惑になりかねないから。
 こうして考えてみると、甘えるという行為は、両者(「甘える人」と「甘えられる人」)の親密な関係性を前提にしていることが分かります。「甘える人」は相手が近い存在だからこそ甘えることが出来るのだし、「甘えられる人」は甘えてくる人が近い存在だから甘えることを許すわけだし。
 甘えられる。(「可能」と「受動」、双方の意味に置いて)この状況はすごく幸せなことなのかもしれません。それだけのソーシャル・キャピタル(社会関係資本)があるということですから。甘えることを相手が許してくれるのであれば、甘えればいいと思うんですが...
 それでも自立しなきゃダメですか?

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