ページビューの合計

2013/05/08

観光から関係へ <前編>


観光から関係へ

先日からTwitterで流れてきたこの言葉が頭を離れない。
ただ、誰がどんな文脈でツイートしたものなのかは覚えてなくて
言葉のバックボーンは分からないくせに、その鮮烈な印象だけがずっと頭に残っていたもんだから、気になって検索してみた。
そしたらどうやら、「瀬戸内国際芸術祭2013/小豆島・醤の里+坂手港プロジェクト」のコンセプトワードだということが分かった。
31日にはスタンダードブックストア(大阪・心斎橋)で、『観光から関係へ——日本は深化する—— 春編 小豆島・醤の里+坂手プロジェクト in 瀬戸内国際芸術祭2013』というイベントも開催されていたようだ。
出演していたのは、椿昇さん、ヤノベケンジさん、服部滋樹さん、家成俊勝さん、原田祐馬さん、多田智美さんの6人。
このプロジェクトの中心人物がフルラインアップされていたようだ。
コンセプトワードの余韻にしばらく浸ってしまうくらいだから、確実に楽しめたイベントだったに違いないのに
行かなかったのが悔やまれる。

名所をめぐるだけの一度限りの『観光』ではなく、
人と人とが出会うことで生まれる『関係』にこそ、
真の豊かさへのヒントがあるのではないでしょうか?
—— 瀬戸内国際芸術祭2013 小豆島 醤の里+坂手港プロジェクト ——

これはプロジェクトのウェブサイトに載っている言葉。
やっぱりすごく共感するし、この言葉はこれからの地域観光の可能性を提示している言葉なんじゃないかとも思う。

イベントでどんな話がなされ、小豆島の会場でどんなプロジェクトが展開されているのか。
聞いてないし、見てもないので、本当のところは分からないけど、これから3回に別けて、「観光から関係へ」という言葉について考えてみたいと思う。

これまでの観光は、読んで字のごとく、光を観に行くことだった。
光っていうのはちょっと抽象的過ぎるから説明すると、要はメディアによってスポットライトがあてられているところ(つまりは観光地)へ実際に足を運んでみること。
風光明媚な場所や、歴史のある名所旧跡。
そうしたところを訪ねては、その地の美味しいものを飲んだり、食べたり、あるいは温泉につかったり。
「観光」という言葉を聞いて多くの人が想起する通り、これが「観光」のステレオタイプだと思う。

イギリスの社会学者、J.アーリが「観光のまなざし」について論じているけど、生活者である僕たちは、ガイドブックをはじめ、テレビや新聞、雑誌やラジオ、ウェブなどといったメディアによって、観光地の見方を内面化しているところがある。
どこにどんなモノがあって、そこは何が有名なのか。
どんなコースで回れば簡単に充実感を得られるのか。
メディアでは必要最小努力で最大効果が得られるようなプランが提示され、コースが紹介される。
そんなわけで、意図的にであれ、知らず知らずのうちにであれ、僕たちはその地に足を運ぶ前から、観光地についてかなり多くの情報を取得している。

消費行動モデルを説明する用語のひとつにAISASというのがある。
Attention(注意)を惹きつけられ、それでInterest(興味)を持てば、Search(検索)して情報収集。それから消費のためのAction(行動)を起こして、そのレビューをみんなとShare(共有)する。
これがAISASの意味する行動形式で、それぞれのステップの頭文字をとってAISASってわけ。
比較的に高額な商品や、長く使う商品、あるいは化粧品や薬などといった商品を消費する際には、このモデルが当てはまるとされていて、観光はまさにAISASタイプの消費行動と言えると思う。

事前に情報を収集してから出かける観光で、一体、僕たちは何をしているのだろう?
もちろんそれは観光なわけだけど、やっぱり光を観ているだけなのかもしれない。
繰り返しになるけど、観光地はメディアによって光をあてられたところ。
逆にメディアによってスポットライトをあてられないところは、観光地ではない。
それはちょっと言い過ぎかもしれないけど、多くの人に認識されていない土地は、観光地として認識されることはないから、「行ってみよう」と思われることもない。
メディアに取り上げられる観光地なんて氷山の一角に過ぎないのに、そんな場所にばかり人と視線が集まり、その他の多くの地域は人の目に触れない水面下に沈んだまま。
そう考えてみると、事前に情報を収集してから行く観光は、メディアから間接的に得た情報を、自分の身体で確かめにいくようなもので、少々ひねくれた表現ではあるけど、メディア(というカタログ)から提供される(観光地という)記号を集めて回るミーハーなコレクターなんじゃないかと思えてくる。
そして一度確かめたら満足してしまい、「前に行ったからもういいや。また別の知らない土地へ行こう」と思う人も少なくないんじゃないだろうか。
それはなんだか使い捨て消費の感覚にも似ていて、もったいないような気がする。

観光は文句無しに楽しい。
観光を否定するつもりもない。
観光をすることで観光地も潤うし、観光客も満足する。
そう言う意味では確かにwin-winなのかもしれない。
でもメディアから提供される記号を集めて回るようなタイプの観光のあり方は、一過性で持続可能性に欠いている気がして、なんだか違和感がある。
余暇は時間もお金も限られているし、好奇心の赴くままに、いろいろな地域を観光してまわるのももちろん素敵な体験だと思うけど、特定の地域に何度も足を運び、深く関わることで得られる体験も魅力的だと思う。
どっちを好むかは価値観の問題だし、別にどっちかひとつに絞らなきゃいけないなんてこともないんだけど。
ただ、メディアに取り上げられていない地域にも観光資源はあるし、観光地であっても、メディアに載っているところだけが全てじゃないっていうことだけは確か。
それに、季節によっても、訪れる年齢によっても、あるいは訪れた回数によっても、見える表情が変わるってことも。

同じ地域を何度も訪れることで、見ることができる絶景。
同じ地域を何度も訪れることで、味わえる隠れた名品。
同じ地域を何度も訪れることで、出会えることができる人。
その地域の「当たり前」という日常に埋没したお宝を発掘するには、やっぱり一度限りの観光では難しいと思う。
観光地に観光しに行く人は、その地域の人からは「よそ者」なわけで、「よそ者」向けに用意された、いわゆる観光地化されたものだけにしか目に入らず、それに満足しているだけなのかもしれない。
「よそ者」から離脱しないと、いつまでたっても「観光のまなざし」に支配されたままなんじゃないだろうか。
そうならないためには、地域と「関係」すること以外に方法はないように思う。
つまりそれは、「観光客」ではなく「関係者」になるということ。
「よそ者」として観光するのも楽しいけど、手間も時間もかけて「関係者」になることで、「観光客」では味わえない豊かな体験を得ることが出来る。
そのことに多くの人が気づいているし、同時に「観光客」ではなく「関係者」になりたいと思う人も増えてきているように思う。
<中編>では、その具体例を挙げてみる。

中編>へ

0 件のコメント:

コメントを投稿