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2011/09/21

デザインに求めるもの


 大阪市はクリエイティブ・デザインの力によって、大阪のメインストリートである御堂筋のブランド力を高めようと「御堂筋デザインストリート2011」というイベントを9月12日から1週間に渡り開催した。連日、御堂筋界隈では多彩なプログラムが催された。
 9月19日(月)、このイベントのファイナルを飾るプログラムが大阪市役所にて行われた。題して「クリエイティブビジネスフォーラム2011『都市とコミュニティとデザイン』」。
 都市再生の鍵となるコミュニティのあり方について、3人の識者が討論するというものなのだが、登壇者が実に豪華!壇上に登場する識者というのが、「コミュニティデザイナー」として日本中から注目される山崎亮氏、哲学者で前大阪大学総長の鷲田清一氏、現大阪市長の平松邦夫氏のお三方。この三者の鼎談が聞けるというわけで、このプログラムには多くの方が足を運んだ。用意された200席は事前予約でいっぱいになり、「キャンセル待ち」や「立ち見」も出たほど。
 もちろん、コミュニティについての議論は興味深いものであったのだが、個人的には、鷲田氏が語った「デザインに求めるもの」という件が印象深かった。鷲田氏は「デザインに求めるもの」として、以下の3点を挙げた。

①人々の主体性を引き出すデザイン
②多義的なデザイン
③フィロソフィーがあるデザイン

 まず①の「主体性を引き出す」とは、裏を返せば、「受け身にさせない」ということである。安心・安全・快適で整備されつくされたデザインは人を「お客様」にする。つまりそれは、人が「至れり尽くせり」な受け身の状況に置かれることを意味する。確かに、「至れり尽くせり」は楽である。何もかもがオートマティック。自分で考える必要はない。言いなりになっていればいい。しかし、そのことは、自ら考え、行動するという主体的行為を人から剥奪するデザインとはいえないだろうか。人を「受け身にさせる」デザインは、人を「自由からの逃走」(E.フロム)させる。ひとたび「自由から逃走」すれば、人の感覚は鈍るばかりだ。舌が薄い味を追いかけるように、優れたデザインは人の感覚を鋭くさせ、主体的に味わい尽くすよう働きかける。
 次に②の「多義的」であるということは、いろんな使い方ができるデザインのこと。欧米の椅子にはコンセプチュアルなものが多い。ビジネス用、読書用、食事用、来客用etc…と、用途に応じて椅子を使い分ける、使い方を限定する(他の使い方を許さない)ことがしばしばある。今でこそ、その文化は広く日本にも普及しているが、日本では古くから椅子の代わりに座布団を使う文化がある。コンセプチュアルな椅子に比べ、座布団は多義的なアイテムであるといえる。「座布団」は座る際に用いられるほか、子ども(乳幼児)を寝かせる「敷き布団」として、眠くなったら半分に折り曲げて「枕」として、また災害時には頭を守る「防具」として、多様な使い方がされる。
 座布団以外にも、風呂敷の使い方しかり、落語における扇子の使い方しかり。日本伝統の品には2way3way4wayと用途の幅が広いデザインが多いのではないだろうか。こうした多義的なアイテムは「体をアホにしない」と鷲田氏はいう。主体的に体を動かすことで工夫が生まれ、デザイナーすら思いもよらない、ある意味“例外的”な使われ方がされる場合もでてくる。
 最後の③は、フィロソフィー、つまり哲学があるということ。簡単な言葉に言い換えると、メッセージ性のあるデザインとでもいえるだろうか。鷲田氏が引き合いに出したのは、建築家の坂茂氏がデザインした「四角いトイレットペーパー」だ。普段、使い慣れている芯の丸いトイレットペーパーは抵抗が少なく、スルスルと使える。一方、坂氏がデザインしたトイレットペーパーは芯が四角いため、カタンカタンと使いにくい。「使いにくい」、ここにフィロソフィーが隠されている。ともすると、使い過ぎてしまうトイレットペーパー。だが、カタンカタンと使いにくければ、「もったいない」を喚起させる時間を与える。「資源の無駄使いはやめよう」、そんなメッセージが受け取れるのだ。さらに、このデザインの優れたところは、輸送時にも発揮される。同じ容量の空間であっても、丸いトイレットペーパーに比べ、四角いトイレットペーパーは空隙が少なく、より多くのトイレットペーパーを積むことが出来る。つまり、丸いものより効率的に運べるのである。それに伴い、燃料費や人件費の削減にもつながるというのである。

 鷲田氏の話を聞いていて思い出したのは、“Less is More.”(より少ないことは、より豊かなことである)という言葉。これはバウハウスの校長を務めた建築家、ミース・ファン・デル・ローエが残した言葉だが、この言葉同様、鷲田氏の指摘はデザインの本質を言い当てているのかもしれない。グラフィックやプロダクトといったカタチのあるものだけでなく、コミュニティやコミュニケーションといったカタチのないもののデザインを考える際にも、重要な手がかりになるのではないだろうか。さすが、前大阪大学総長。鋭い分析であり、示唆に富んだ指摘である。今後の参考にさせて頂こう。

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