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2011/09/06

『ジェノサイド』

高野和明『ジェノサイド』(角川書店)という小説がある。


これを書いた人はどういう脳味噌をしているのか。そのとてつもない想像力に驚嘆した。(作家・万城目学)

ここにハリウッドを凌ぐ、一級の娯楽作品がある。こんなスケールのデカい小説を書ける作家がいたなんて、日本はまだ捨てたもんじゃない。(「METAL GEAR」シリーズ監督・小島秀夫)


など作家や書店員からの評価も高く、「本の雑誌」2011年上半期ベスト10においても第1位となった作品である。僕自身、これほどまでスケールの大きい作品は読んだことがなかったし、面白さのあまり、夜を徹して数百ページを一気読みしてしまった。本の帯に記されている「世界水準の超弩級エンタメ小説」というのに嘘はない。

この小説の中で、ハイズマンという博士のヒトに関する考察が興味深い。

「私は人間という生物が嫌いなんだ」とハイズマン博士。
その理由を以下のように回答する。

「すべての生物種の中で、人間だけが同種間の大量殺戮を行う唯一の動物だからだ。それがヒトという生き物の定義だよ。人間性とは、残虐性なのさ。かつて地球上にいた別種の人類、原人やネアンデルタール人も、現生人類によって滅ぼされたと私は見ている」

我々、現生人類だけが地球上に生き残ったのは、知性ではなく、残虐性が勝ったからだと博士は主張する。
ハイズマン博士はこうもいう。

「人間は、自分も異人種も同じ生物種であることを認識することができない。肌の色や国籍、宗教、場合によっては地域社会や家族といった狭い分類の中に身を置いて、それこそが自分であると認識する。他の集団に属している個体は、警戒しなければならない別種の存在なのだ。もちろんこれは、理性による判断ではなく生物学的な習性だ。ヒトという動物の脳が、生まれながらにして異質な存在を見分け、警戒するようになっているのさ。そして私には、これこそが人間の残虐性を物語る証左に思える」

「いいかね、戦争というのは形を変えた共食いなんだ。そして人間は、知性を用いて共食いの本能を隠蔽しようとする。政治、宗教、イデオロギー、愛国心といった屁理屈をこねまわしてな。しかし根底にあるのは獣と同じ欲求だ。領土をめぐって人間が殺し合うのと、縄張りを侵されたチンパンジーが怒り狂って暴力を振るうのと、どこが違うのかね?」


ハイズマン博士が主張するように、その誕生以来「同種間の大量殺戮」を続けているのがヒトという生物といえるのかもしれない。
遺跡から発掘されるネアンデルタール人の骨には、暴力を受けた傷跡が調理された痕跡が多く見つかるという。
肌の色が違うというだけで、差別され、奴隷として過酷な労働を強いられるた人は数知れない。
また人種、信仰の違い、イデオロギーの対立など理由をつけては多くの殺戮が繰り返されてきたのは周知の事実。
そして今なおその争いは現在進行形で続いている。
石や棍棒を手に殺し合いを続けてきたヒトは、銃を開発し、核ミサイルを手に入れた。
何十万年も殺戮兵器の開発を続けてきたヒトは、今やスイッチ一つで人類を滅亡させることできる。

どんな大量破壊兵器も怖くない。
怖いのは、それを扱う人間だ。

現生人類である”ホモ・サピエンス(=賢い人)”が真の意味で”賢い人”になる日は来るのでしょうか?

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